たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

HELPの現象論

2009-06-15 02:47:06 | Weblog
 心から俺をどーにかしようと思ってて叱ってくれると、安心する。その人のエゴや不安とかの由来じゃなくって、それはダメでしょーって言ってくれる人は、案外少ないもんだ。これがほとんど正解の叱り方なのだと思う。そういう時、その人を悲しませないようにという理由でも、本当にそうだなって思い返した理由でも、きちんと直そうとするなら、また同じようなシーンで正してくれるんだと思う。
 ずーっと前、中学受験の時、塾の先生が〈僕は怖がられてるみたいだけど(笑)、怒りません。叱るってことはするかもしれませんが。。〉っと言ってたのを、また少し違う意味で理解できるようになった。

 逆に、伸ばそうとか、自信を持たせようとか思われて、褒めてくれたりすると、嬉しくなる。本当に能力を発揮して褒められた時以上に、俺は嬉しくなる。そういう想いからの褒めの言葉を裏切らないために、絶対に頑張ろうって思えるのもプラスだけど、最終的により求められている感があるからなのかもしれない。

 この2つに共通しているのは、心で『本当に、その人を助けよう、その人に優しくしよう』という想いが根底にあった上での、頭で思考しまくり、行動をした結果ということだ。心で『この人のこーゆうところが嫌いだからつぶっしゃえ、褒めたら好かれるかな??』という想いで、頭で思考しまくって、行動したとしたら、表現はパッと見は同じかもしれないが、やっぱりどっかでその下心が垣間見れてしまうのだ。すると、相手は、『っあ、どーでもイイや』って思う率が高くなる。っま、愛に飢えてるとそうでもなかったりするんですがね(笑)。って、笑えねーか。

 でも注意しなきゃいけない。これは1つの『正しい』アプローチの仕方であって、これがすべてじゃない。ってか、こんなんだけのが周りにいたらウザくてしょうがないだろう。だから事象の半分くらいは、そのエゴや不安や情熱を俺にそのままぶつけてきたり、押しつけてきたりして欲しいのだ(変に計算したりせず『そのまま』)。半分くらいは、てめーの物差しで測って欲しいのだ。

 そしてもう一つ。あくまでこれは、師弟関係がはっきりしている場合に、善であると、多くは考えられる。師弟関係がはっきりしてるときで、その少ないケースのほうの善も含む例をだすなら、

 【えー、どうやって計算するんですかーー??】
 『だからさ、ここの変数をこーやって変数変換して。ほらね。でも、最初あなたがやってたみたいに考えるのは、一回目なんだから、大事だよ。』
 【ありがとうございまーす。でも、そんなの思いつかないですよー。】
 『俺は思いつくし(笑)。ってか、俺なんか、もっとムズい…、こんな変数変換するようなやつだってやってるんだぜー??』
 【知らないですよ(笑)】

 ってとこかなー。師弟関係がはっきりしているから、8:2くらいが一番上手くいくのかもしれん。

 っま、こんなことは、意識なんてせずに、自然にやっちゃうからなー。ここまでの思考を、すべてすべて、演技してたら、無意味だしね。
 そう、あくまで現象論。先に現象を見てから、無理やり方程式を記述すると、こんな感じってだけ。

 だから、考えずに、いつも、いつまでも、そのままで。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする