自然科学分野において本当の意味で研究を進捗させる上で重要なことをまとめておこうと思う。筆者は生物物理(実験), 再生医療が専門なので、この分野に特有のことを無自覚に書いてしまうと思うが、理論研究を含めたなるべくすべての分野に適合することを書きたい。
この記事は順次更新するようにしていきたい。(最新更新日2024.3.31.)
・研究するとは何か
研究とは新しいことをすることだ。
新たな研究テーマに着手するとき、まずは自分自身にとって新しいことをするだろう。そして、次第にそのチームにとって新しいことをするだろう。さらに、その分野において新しいことに到達するだろう。これが即ち、研究の出力になる。人生で一度くらいは人類にとって全く新しいことをしてみたいのが人の常だが、なかなかそうもいかない。その分野において新しいことまできちんと到達することを目標に、毎日どの段階かの「新しいことをすること」を意識して研究に取り組むべきである。
逆に日々「今までと同じことをひたすら繰り返す」ことは、研究とは呼ばない。実験研究における標語は同じ実験を繰り返すな!である。急いで付け加えなければならないが、再現性を確認することはとても大事なことである。しかし、それは上記した「新しいこと」が前提である。新しいことを恐怖するがゆえに同じことを繰り返している場合、今一度研究とは毎日新しいことをすることと唱えてほしい。「たくさん実験したね」「いっぱい計算したね」と言われたいだけなら研究を掲げないことだ。
・安全性について
この項目は実験研究において(バイオ系や有機系)だけかもしれないが、自分自身の安全を絶対に確保しながら研究するべきである。
具体的には、白衣を着ること、ゴーグル(メガネ)をかけること。また白衣の中に着る普段着も、なるべく動きやすい服装であることが好ましく、短いズボンやスカートで足を露出してはいけない。なるべく実験室で一人にはならないこと。また、実験終了前後は手を洗うこと。
そして、週に一度はきちんと掃除をすること。実験とは、その系の中での現象を掌握することである。系の中に不要なものがある状況下で実験などできるわけがない。机の上が汚いのは構わないが、実験環境は整理整頓されていなければ正しい実験ができず、精度や成功率も下がる。まずここまでが基本中の基本。
実験室で最もリスクが高いものは回転するものである。遠心機はチビタンであっても油断せず、バランスをしっかりとって使用すること。
自分が使う実験装置については、簡易マニュアルだけでなく、その原理からきちんと理解すること。
・目標
月に一つは論文や報告書に掲載できる図を作成できるように。
論文のFiguresが4つ欲しいのだとすれば、半年で一本分のデータは揃うはずである。実際できるかどうか別にしても、多くの分野でこのくらいの意識で進めなければ、博論はストレートに仕上がらないと思っている。
ただし、論文を量産することに最適化しないように。それをすると研究の定義である「新しいことをする」と矛盾しがちになる。魂を売って論文製造機にならないこと。
・基礎学力
高校理科と高校数学に不安な点がある場合は早急にこれをマスターすること。これができていないと安全が完全には確保されない。
統計力学までの物理学(基本だけで良い)と数理統計学の理解はどの分野でもなるべく習得することが望ましく、いくら実験系でも(バイオ系でも)、昨今このベースがないと本当の意味でオリジナリティのある研究は難しいのではないかと思う。実験装置がそれらを基本にしている以上、実験原理について理解できない箇所がある状態で実験に臨むべきではないからだ。統計力学までの物理学と数理統計学については、筆者が研究従事者向けに主宰している物理会(2022.3.-現在まで)のYouTubeがあるので(限定公開)、機会があればその全体を紹介したい。自分の同僚がその理解不足に陥っている場合、筆者はいくらでもフォローしたいと思っている。
・他者の報告を読むことについて
自分の分野について最低限、その礎となっている文献を読むことは必須である。しかし昨今、「新しいことをしてもいないのに(いろいろな事情で)まとめてしまった」論文というものが世に溢れかえっている。これはジャーナルのインパクトファクターに依らずに起きていることなので、毎日論文を必死になって追う必要はないと考えている。情報は確かな武器だが、情報がゴミに埋もれているわけで、再現性が得られるかも分からないようなゴミを頭に入れる時間はもったいない。
上記した基礎学力をもってその分野の基礎を正確に習得し、日々新しいことをしながら必然性を追いかけていれば、自然と研究になるというのが筆者のスタイルである。
だが、視野が狭くなるのはいけないことなので、(少なくとも)あらゆる研究分野のアブストをパラパラ読む程度はしたほうが良い。
論文を体系的に読むことも(筋トレ的な意味で)重要なので、2ヶ月に一度くらいは自分が読んだ論文について紹介する機会があることが望ましい。この際には「自分がこのテーマを引き続き行うのだとしたら明日から具体的に何をするか」まで分かっている状態になっていないといけない。
自身の研究成果を発表するときには、当然だがきちんと文献検索をするべきである。その際にどこにもオリジナリティがないということであれば、それは基礎学力を疑うべきである。研究テーマは日々変わっていくはずのものなので、研究の最初に一生懸命に文献検索をしても仕方ない。代表的なものを5報(そのなかの気になった引用も)も読めば十分であろう。
この項目の最後に逆説的なことを言っておくと、1週間で最大どれくらいの論文をきちんと読めるだろうかということは試すに値する。(筆者が学生時代に試してみた際は50報が限界であった)
・学会や展示会の参加について
何らかの集会に出席して、自分の研究を相手に伝えてフィードバックをもらったり、誰かの研究を直接言葉で聴くことは重要である。
しかし、学会や展示会に関しても昨今、乱立してしまっているので、どれに行くべきかは精査した方が良い。また、発表を聞く際に期待しすぎないこと。一つの集会で一つ有用な情報に出会えればそれで良いと筆者は思っている。実際、それくらいの率であると思う。
出席したら必ず報告書を作成すること。政治力学に奔走したいなど忙しい場合は、その場でメモ程度でも構わない。それが何年後かにヒントになることもありえる。(実際に何度もあった)
・手を動かす人と口を出す人の比率
少子高齢化の影響で、口を出す人の方が手を動かす人よりも多い、という事態が発生しやすくなっている。手を動かす人というのは、実際に実験をする人、計算機で計算をする人である。
たとえば、手を動かしている人の報告を極たまに聴くタイミングでしかそのテーマのことを思い出さないのであれば、考究していないわけだから口を出すだけ邪魔であることは多い。そういう人が3人もいれば、もう研究は先に進まない。烏合の衆はダメに決まっている。
この時代であるからこそ、研究管理者ではなく研究従事者であろうとすることが重要である。そのテーマに関して口を出すのではなく実際に何ができたのかを意識するべきだし、口だけ出してくる人には協力を仰がないように進捗させないと、結局のところ研究が前に進まない。それくらいの気概がなければ、疲弊した状況を抜け出すことはできない。
・余裕があること
これがもっとも難しいこと(かつ精神的なこと)であるが、余力を常に20パーセントは残しておきたい。できれば60%くらいの力で何事も臨んでいることが重要だと思う。
新しいことをすることはストレスである。だからこそ、余裕がないと研究は実行できない。全力で60%の力を出す、なんだか矛盾しているようだが、これを意識したい。
研究者とは職業ではなく、もはや一つの生き方である。理想的で実行的なことをたくさん書いたが、上記のように取り組んでいれば、必ずや生活は楽しくなる。
読者が、より楽しくより意味のある研究生活を送れるように願っている。自戒も込めて。
この記事は順次更新するようにしていきたい。(最新更新日2024.3.31.)
・研究するとは何か
研究とは新しいことをすることだ。
新たな研究テーマに着手するとき、まずは自分自身にとって新しいことをするだろう。そして、次第にそのチームにとって新しいことをするだろう。さらに、その分野において新しいことに到達するだろう。これが即ち、研究の出力になる。人生で一度くらいは人類にとって全く新しいことをしてみたいのが人の常だが、なかなかそうもいかない。その分野において新しいことまできちんと到達することを目標に、毎日どの段階かの「新しいことをすること」を意識して研究に取り組むべきである。
逆に日々「今までと同じことをひたすら繰り返す」ことは、研究とは呼ばない。実験研究における標語は同じ実験を繰り返すな!である。急いで付け加えなければならないが、再現性を確認することはとても大事なことである。しかし、それは上記した「新しいこと」が前提である。新しいことを恐怖するがゆえに同じことを繰り返している場合、今一度研究とは毎日新しいことをすることと唱えてほしい。「たくさん実験したね」「いっぱい計算したね」と言われたいだけなら研究を掲げないことだ。
・安全性について
この項目は実験研究において(バイオ系や有機系)だけかもしれないが、自分自身の安全を絶対に確保しながら研究するべきである。
具体的には、白衣を着ること、ゴーグル(メガネ)をかけること。また白衣の中に着る普段着も、なるべく動きやすい服装であることが好ましく、短いズボンやスカートで足を露出してはいけない。なるべく実験室で一人にはならないこと。また、実験終了前後は手を洗うこと。
そして、週に一度はきちんと掃除をすること。実験とは、その系の中での現象を掌握することである。系の中に不要なものがある状況下で実験などできるわけがない。机の上が汚いのは構わないが、実験環境は整理整頓されていなければ正しい実験ができず、精度や成功率も下がる。まずここまでが基本中の基本。
実験室で最もリスクが高いものは回転するものである。遠心機はチビタンであっても油断せず、バランスをしっかりとって使用すること。
自分が使う実験装置については、簡易マニュアルだけでなく、その原理からきちんと理解すること。
・目標
月に一つは論文や報告書に掲載できる図を作成できるように。
論文のFiguresが4つ欲しいのだとすれば、半年で一本分のデータは揃うはずである。実際できるかどうか別にしても、多くの分野でこのくらいの意識で進めなければ、博論はストレートに仕上がらないと思っている。
ただし、論文を量産することに最適化しないように。それをすると研究の定義である「新しいことをする」と矛盾しがちになる。魂を売って論文製造機にならないこと。
・基礎学力
高校理科と高校数学に不安な点がある場合は早急にこれをマスターすること。これができていないと安全が完全には確保されない。
統計力学までの物理学(基本だけで良い)と数理統計学の理解はどの分野でもなるべく習得することが望ましく、いくら実験系でも(バイオ系でも)、昨今このベースがないと本当の意味でオリジナリティのある研究は難しいのではないかと思う。実験装置がそれらを基本にしている以上、実験原理について理解できない箇所がある状態で実験に臨むべきではないからだ。統計力学までの物理学と数理統計学については、筆者が研究従事者向けに主宰している物理会(2022.3.-現在まで)のYouTubeがあるので(限定公開)、機会があればその全体を紹介したい。自分の同僚がその理解不足に陥っている場合、筆者はいくらでもフォローしたいと思っている。
・他者の報告を読むことについて
自分の分野について最低限、その礎となっている文献を読むことは必須である。しかし昨今、「新しいことをしてもいないのに(いろいろな事情で)まとめてしまった」論文というものが世に溢れかえっている。これはジャーナルのインパクトファクターに依らずに起きていることなので、毎日論文を必死になって追う必要はないと考えている。情報は確かな武器だが、情報がゴミに埋もれているわけで、再現性が得られるかも分からないようなゴミを頭に入れる時間はもったいない。
上記した基礎学力をもってその分野の基礎を正確に習得し、日々新しいことをしながら必然性を追いかけていれば、自然と研究になるというのが筆者のスタイルである。
だが、視野が狭くなるのはいけないことなので、(少なくとも)あらゆる研究分野のアブストをパラパラ読む程度はしたほうが良い。
論文を体系的に読むことも(筋トレ的な意味で)重要なので、2ヶ月に一度くらいは自分が読んだ論文について紹介する機会があることが望ましい。この際には「自分がこのテーマを引き続き行うのだとしたら明日から具体的に何をするか」まで分かっている状態になっていないといけない。
自身の研究成果を発表するときには、当然だがきちんと文献検索をするべきである。その際にどこにもオリジナリティがないということであれば、それは基礎学力を疑うべきである。研究テーマは日々変わっていくはずのものなので、研究の最初に一生懸命に文献検索をしても仕方ない。代表的なものを5報(そのなかの気になった引用も)も読めば十分であろう。
この項目の最後に逆説的なことを言っておくと、1週間で最大どれくらいの論文をきちんと読めるだろうかということは試すに値する。(筆者が学生時代に試してみた際は50報が限界であった)
・学会や展示会の参加について
何らかの集会に出席して、自分の研究を相手に伝えてフィードバックをもらったり、誰かの研究を直接言葉で聴くことは重要である。
しかし、学会や展示会に関しても昨今、乱立してしまっているので、どれに行くべきかは精査した方が良い。また、発表を聞く際に期待しすぎないこと。一つの集会で一つ有用な情報に出会えればそれで良いと筆者は思っている。実際、それくらいの率であると思う。
出席したら必ず報告書を作成すること。政治力学に奔走したいなど忙しい場合は、その場でメモ程度でも構わない。それが何年後かにヒントになることもありえる。(実際に何度もあった)
・手を動かす人と口を出す人の比率
少子高齢化の影響で、口を出す人の方が手を動かす人よりも多い、という事態が発生しやすくなっている。手を動かす人というのは、実際に実験をする人、計算機で計算をする人である。
たとえば、手を動かしている人の報告を極たまに聴くタイミングでしかそのテーマのことを思い出さないのであれば、考究していないわけだから口を出すだけ邪魔であることは多い。そういう人が3人もいれば、もう研究は先に進まない。烏合の衆はダメに決まっている。
この時代であるからこそ、研究管理者ではなく研究従事者であろうとすることが重要である。そのテーマに関して口を出すのではなく実際に何ができたのかを意識するべきだし、口だけ出してくる人には協力を仰がないように進捗させないと、結局のところ研究が前に進まない。それくらいの気概がなければ、疲弊した状況を抜け出すことはできない。
・余裕があること
これがもっとも難しいこと(かつ精神的なこと)であるが、余力を常に20パーセントは残しておきたい。できれば60%くらいの力で何事も臨んでいることが重要だと思う。
新しいことをすることはストレスである。だからこそ、余裕がないと研究は実行できない。全力で60%の力を出す、なんだか矛盾しているようだが、これを意識したい。
研究者とは職業ではなく、もはや一つの生き方である。理想的で実行的なことをたくさん書いたが、上記のように取り組んでいれば、必ずや生活は楽しくなる。
読者が、より楽しくより意味のある研究生活を送れるように願っている。自戒も込めて。