たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

与えられた課題に疑問を抱かない能力のリスク

2023-02-05 03:43:55 | Weblog
 10年ちょっと前くらいに「鈍感力」というのが話題になっていた。当時はよく分からないなぁと思っていたが、これを「与えられた課題に疑問を抱かない能力」と書き下せば、何を言っているのか非常によくわかる。

 自分の本当の興味関心や、組織にとって本質的に何が必要なのかを考え続けるよりも、この国では、上から降ってくるものをとにかく漫然とこなしていけば良い、という価値観に溢れている。
 真実から目をそらし妄想の世界に入っていくことこそが承認を得られる手段であり、何かの基本的な感情を欠かさなければ、正気を維持することさえ難しい。

 まずもって目上の人を尊敬している素振りだけは絶対に忘れないようにして、日々忙しそうにして、降ってくる課題に対しては一切の疑問を持たずに、それを最重要視して取り組み、目上の人の都合の良い結果を引っ張り出してくることが、勝利への方程式なのだろう。

 では、与えられた課題に対して疑問を抱きまくったら、どのようになるのか。
 非常に簡単である。先に進まないし、何も生み出せなくなる。

 かけ算の九九を覚えなくちゃいけないときに、やたらめったら、その目的と必要性を訊きまくってくる子供がいたら、うざくって仕方ない。教育とは、その課題に取り組む前には思いもよらなかった価値観に気が付くことなのであるから、言われたことをとにかくやってみて、やらされてみて、それから必要性や重要性に気が付いていくことは十分にありえる。
 二次関数をあんなにやらされるのがまさかファンデルワールス力を計算できるようになるところまで使えるとは思いもしないだろうし、大量の文章を理解したり書いたりする上で英文法や国文法はものすごく役に立つのだがそれを中学生で理解するのはなかなかに難しいだろう。

 しかしながら、それは、実力のある者が、実力の発展途上である者に課すからこそ意味があるのであって、実力のない者がどんなに誰かに強要しても、コントロールすることにはならず、ただの疲労困憊に終わることのほうが多いだろう。
 ただ単純に、カネのある者が、政治力学で上の立場であるだけの者が、親が、教師が、上司が、何かの課題を強要したところで、それは誰のためにもならないことのほうが遥かに多いのだ。ここを勘違いしては絶対にいけない。

 決定権だけは譲らないし、お前のほうがすでに実力があるかもしれないが、もっと態度を改めて、もっと謙虚に、そしてもっとコミュニケーション力を高めて、と多くを求めていく。さあ、とにかく特許を書け。論文を書け。何も考えるな。そもそもお前は考えすぎなんだよ。権威に尻尾を振る方向にだけ考えればそれで良いんだ!それだけに最適化すれば良いんだ!素直になるんだ!そして、周囲に感謝しろ!ってね。

 さて、今年もポケモンバトルがそろそろ落ち着き始める頃だろうか。
 代理戦争で傷ついた瑕は、ちょっとやそっとじゃ消えない。この腐った世界のどこかで悲鳴が響いた数だけ、そのレバレッジは大きなものになっていく。

 そのリスクが暴発しそうな様子を観察しながら、爆発させる触媒としてどのように振る舞うべきか、課題を与える。
 人間はね、、興味のあることなら、どこまででも貪欲になれるものなんだよ。

 それを肴に酒を飲める余裕を持つくらいの新世代の人たちと、真に豊かな世の中で、どのように暮らし、苦痛を減らしていけば良いかにのみ、興味があるのだと思う。
コメント
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