たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

人は原理的に老害になってしまう?

2018-12-08 19:00:00 | Weblog
 今年もあと僅かですが、なかなかに話題が多かった一年だったなぁと思います。
 特に「勘違いしたおっさん」による話題が目立ってたんじゃないかと。

 アルマーニ制服騒動、財務省の文書改ざん、山口メンバー逮捕、日大アメフトタックル、そして、今また話題になっている、東京医科大学の裏口入学・得点操作問題。

 どれも、当たり前にヤバい炎上案件になるのは外部から考えれば明らかなのに、どうして平気で、そのような行動ができてしまうのか、というものばかりだ。

 こう並べてみると、やはり、人は原理的に老害にならざるをえないのではないか、と思ってしまう。

 年齢を重ねれば重ねるほど、立場を高めれば高めるほど、自分の権威目当てのYESマンばかりが周囲に集まりがちになってしまう。どんなに「それでも俺に意見をちゃんと言ってくるヤツ」を求めたとしても、その前段階で別の誰かによってはじかれてしまっていたり、「とはいえ、最低限の礼儀は重んじる」などと条件を狭めてしまっていたりする。
 そうすると、自分が何を言っても周囲は反対しない状況が長くなってしまうのだ。徐々に、「俺はエラいんだから、これくらいは許される」という判断基準が甘くなる。本当は相手がものすごく怒っているのに、表面上はニコニコ「いつもありがとうございます」などと言ってきたりするからだ。

 ノーヒントの状態が長年にわたって続き、突然ネットで拡散される。
 これが、「勘違いしたおじさん」の気持ちなのではないかと思うのだ。
 
 俺はまだ31歳だが、それでも20代前半の頃に比べると、周囲からの全否定の発生率が低くなっている。このままいけば、自分も老害になってしまう、もしくはすでに老害なのではないだろうか、と不安になる。
 忘れないでいられるのだろうか。人は原理的に老害にならざるをえない、という可能性を。

 そして、同じおじさんでも、スーパーボランティアの尾畠春夫さんのような方がいることも忘れてはいけない。
 今年8月、山口県周防大島町で行方不明だった2歳男児を救出して話題になった。この人、調べてみるとなかなかにすごい人なのに、社会的な評価は、上で評価されてたようなおじさんたちに比べて、低い。

 あんまりにも承認を得られすぎても勘違いしやすくなってしまう。
 どのようにすれば、勘違いしてないおじさんになれるのか、よくよく考えていかないといけないと思う。

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コメント
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