(今日の主人公のSSくんは仮名です。今度会った時にでも話して、許可が出たら本名に変えようかと思います(忘れそうだけど笑)。ちなみにイニシャルじゃありませんよー笑)
はじめて彼と一緒にバスに乗って、座席に座ったとき、俺は少しだけ緊張していた。
時は2003年、高2になりたての4月の初旬、たくさんの教科書を貰い、学校は午前中で終わった。クラスメイトになったばかりのSSくんと、高校から駅までの30分間、バスのなかで他愛もない話をすれば良いだけだ。ただそれだけなのに、俺は、同じ高校の同級生と勉強の話をしなくちゃいけないのが、どこか怖かった(前回の自分史1を参照ね)。
教科書をめくりながら、SSくんは一つひとつ偉そうにコメントを入れていく。
「まぁとりあえず、数学は余裕だな。ベクトルなんて、最初は上に矢印つければいいだけだし」(注;そんなこたーありません笑)
自信満々に教科書の内容を評価していく様子に、俺は無難なちゃちゃを入れながら、バスは木々でいっぱいの住宅地やだだっ広い風景を進む。
「問題は英語なんじゃないか。これ、とか構造取りにくいし。あと、この倫理ってのもよくわからないな。こりゃ、定期試験、やばいぞ!」
俺は、意味が分からなかった。まだ授業が始まってもないのに、どうしてそんなにも真剣に学校で習う内容を理解しようとしているのか。そして、勇気をもって、その気持ちを言ってみることにした。
『ハハハ、いや、まだ授業が始まってもいねーんだぜ?大丈夫だろ』
俺がそう言うと、SSくんは一瞬の真顔のあとに、すぐ笑顔を作り、
「確かに、それもそうだな笑」
と返してきた。
何気ないこの会話が、価値観のクラスチェンジだったのだと思う。これだけ真面目な態度の人間が、"ノリ"に流されるのを目の当たりにした初めての瞬間。
俺にとって、SSくんは、生まれて初めてできた「優等生なのにノリの良い」友達だ。そして、俺にとって、今も昔もずっと、最高の「憧れの友人」である。
彼は知れば知るほど良いヤツで、あらゆる分野で能力が高かった。
めちゃくちゃ背が高いわけでもないのに、高跳びでは3クラスで最後の2人にまで残るレベルで高く飛ぶ。みんなに、
「SSは実力で飛んでるからな」
と茶化されても、笑って流しながら、ジャンプする。
昼休みにはサッカーやバスケをやっていて、決まって自分の成果を自慢してくる。いつも自信満々で、でも、クラスの中で(俺みたいに)浮きそうなヤツがいれば率先して話しかけて、あだ名もつけていた。
俺がつけられたあだ名は、「番長」。目つきが悪いからだそうだ。今でも、SSくんからは「ばんちょー」と呼ばれる。
あんなにスポーツが好きなのに部活はやっておらず、日々バイトをして、特待生で入ってる予備校に通う。
「反省もできないほど忙しいからこそ、見えてくるものがある」
そんなことを言ってたこともあったっけ。。色んなことに手を付けているのに、どうしてそこまで自信があるのか理解できなかった。しかし、まぁ実際に、能力も高い。俺が、いま、根拠もなく自信満々な態度をとるのは、このSSくんの影響をかなり受けている。
彼からスポーツの楽しさも学んだ。体育でテニスをやれば一緒にペアを組ませてもらったし、球技大会でサッカーをやることになれば、放課後、彼の仲間たちと一緒に練習をしたりした。
そうそう、あの頃、まだまだ集団が怖くて怖くて、俺自身がスポーツ音痴すぎるので、みんなでてきとーにやってた練習試合で失敗しまくっちゃって、休憩中に誰にも言わずに黙って帰っちゃったんだよね。そうしたら、その夜、SSくんからメールが来て、「ばんちょー、なんで、いつ帰っちゃったの?なんか用事?」と。罪悪感というか、安心感というか、その時の気持ちは一生忘れないと思う。
そんなわけで、それなりに練習して挑んだ前後半10分のクラス対抗のサッカーは、俺の人生を変える試合となる。
俺とある程度、仲良くなると、必ずされる「あの」話です。
それまで、うちのクラスは他のすべての球技(バレー男子と女子、バスケ男子と女子、ドッジボール女子)で1回戦を突破していた。サッカー男子の1回戦は順番的に一番最後だった。
だが、俺が参加してたサッカーでは、前半終了時、うちのクラスは3-0で負けていた。完全なる負け試合だったのに、SSくんを含め、俺以外の他のクラスのメンバーは誰もあきらめていなかった。SSくんはフォワードもできるタイプだが、「キーパー、俺にやらせろ」と言ってファインセーブの連続。地道に1点2点と点を重ねるサッカー部のフォワード。少しでも諦めていたら、絶対不可能なプレーを俺の目の前で連発していた。
そして、試合終了時4-4。PK戦では、SSくんがファインセーブをし、うちのクラスは勝つのだった。歓声に包まれる中、俺は、自分にはもう永遠に訪れないであろうその瞬間を深くかみしめた。
俺は今でもスポーツの楽しさをよく知っているタイプではない。でも、もしかしたら、スポーツの一番気持ちの良いところを経験してしまったのかもしれない、と思う。この経験がなければ、きっと今も、すべてのスポーツを馬鹿にしていたと思う。
たとえ、可能性が低くても、全力でぶつかっていくことに価値がある。次の2回戦ではあっけなく負けてしまったが、「とにかく勝つ」なんてことよりも、得られてしまった充足感は、実際に俺の人生を変えた。「最後まで絶対にあきらめない」という、ありふれた名言を、常に信じてしまうほどに。
試合直後、SSくんは言った。
「決勝だったら、絶対に泣いてたよ」
と涙ぐみながら。
最近になって、俺がこの話をしたときに、SSくんは
「ばんちょーが、いまだにそんなに覚えてくれていて嬉しいよ。あぁいう体育会系のノリってさ、そうじゃない人には受け入れがたいものだし、あの時、俺らは、そうじゃない側の人に、申し訳ない気持ちもあったからね」
と言いながら、「あれさ、ほんとはさ、、」とPK戦の心理戦の裏側を嬉しそうに語っていた。
夏休みには、学校でやってた物理の夏期講習に一緒に参加した。少人数だから、お互いはじめて習う範囲なのに自分よりもSSくんのほうが理解が早いことを、直面する。もちろん、今では俺のほうが物理ができるけど、、それでも、SSくんに物理や数学について何かオフェンスされたら、ビビってしまうかもしれない。
そこで今も連絡を取っている、高2のときの物理の恩師、A先生が、俺とSSくんに、昼飯にコンビニでパンを奢ってくれた。SSくんは「うまいな。ありがたいな…」と噛みしめるように食べていた。
長い夏休み、SSくんと一緒にテニスをやろう、ってことになって、俺は中学時代の友人のケースケを誘い(自分史1参照)、SSくんとテニスコートを借りてテニスをすることになった。当時ケースケはテニス部で、ケースケは他に2人ほど連れてきていた。
正直、この時のことは断片的にしか覚えていない。俺が当時好きだった2大友達がお互いに会う。そんで、テニスする。途中まで、かなり仲良く、SSくんのおかげでいい試合をしていたと思う。当時、それ以上に楽しいことなんて想像もできないはずなのに、あんまり覚えていない。ただ、間違いなく分岐点で、この日を境に、ケースケと会わなくなって、放課後にケースケと会わなくなったぶん、よく勉強するようになった。何かキッカケがあったはずだし、何かの言い争いをした記憶もあるんだけど、具体的にどうだったかあんまり覚えていない。
その帰り、SSくんから、何かのバイトを紹介された。その時に、『いや、俺はバイトする気はないんだけど』と言うと、SSくんはいつもよりも強い口調で、
「だったら、ばんちょー、部活もやってないんだから、学年で1位とるくらい勉強しろよ」
と言われた。それは非常に正論で、ちょうど良いキッカケだった。確か、それからだったと思う。定期試験があるわけでもないのに、勉強する時間がやたら増えて、受験にむけての勉強を自分なりにし始めた。
それから、あっという間に冬が来て、それで、あの2003年のクリスマス。その日に、あらゆるすべての糸が繋がり、どうしてSSくんが常に自信満々なのか、日々勉強し、出来る限りスポーツを楽しみ、バイトまでしているのか、、そして、何より、弱者に非常に優しいのかを、理解した。いや、今でもきちんと理解できているかはわからないけど、、一応の解釈を与えることができるようになった。
あんな大変な状態のときでも、俺なんかに気を遣ってメールをくれるSSくんは、数少ない尊い人類の一人だと思っている。
大学受験を迎えた時も、浪人中も、ずっと応援してくれた。俺からSSくんにできることは少ないのに。浪人中の受験期間(って、実は一番怖いんです笑)、もうダメかもしれないってときに、助けてくれたのはSSくんからのメールだ。
D2の終わり、学振DC2に落ちた俺に、忙しいなか会ってくれて、「もう一度、学位を取れるまで、できることをやってみたら?」と諭してくれたのは、SSくんだ。彼はアカデミックに明るいわけじゃないけど、研究室やアカデミックにいるあらゆる連中なんかよりも、よっぽど、日本の研究を本当の意味で支えていると思う。
アメリカに行くって伝えた時に、面と向かって、すぐに「おめでとう」って言ってくれなかったよね。いつもの自信満々の表情がちょっとだけ消えて、帰ってからLINEで「気を付けて、頑張って来いよ」と言ってくれた時、俺自身がアメリカの研究室に行くことに何の価値も感じていないことをすっかり見抜かれていたことを察したよ。
お互い大学受かったときだってそうで、、いつだって、短絡的には「おめでとう」と言わない、そんな考究されつくした配慮が、どんなに俺を助けてきたか、わからない。
こないだは、ごめんね。4月1日のエイプリルフール、『日本に帰って結婚します』って、たなかくんとなおちゃんと仕組んだ、Facebookの投稿。一番最初に引っかかったのはSSくんだった。「寝耳に水だけど、結婚おめでとう」って、やっぱりちょっと含みのある言い方でさ、一番騙しちゃいけない友達が一番最初に引っかかっちゃって、俺の罪悪感はマックスで…(だったらするなよ、って話ですが笑)。だって、これまでで、結婚式で心から感動したのは、SSくんの結婚式だけだから。
すぐにLINEすると、「日本に帰るのは嘘じゃなくて良かった」って。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、泣いちゃったよ。
っていうか、そもそも、引っかかるほうが悪いんだぜ?
12年前の4月1日エイプリルフールにも、俺がこのブログをやめる、って言ったら、「ブログはやめないんだよな?」と言ってきてたじゃん。毎年やってるんだからさ。
お前と一緒に作った、ABCグループ理論、今の中高生にウケてるみたいでさ、俺のYouTubeチャンネルの一番の再生数だよ。5000回以上も再生されてるなんて、いまだに信じられないわ。
また、何か、価値あるものづくりを、一緒にさせてもらえたらな、って思っていたりするけど、、きっと忙しいもんね。俺は、お前が、本当の意味で暇になるまで、ずっとずっと待ってる。そして、そのためにできることがあるなら、なんでもしたいと思っている。
…というわけで、高3の時の話をごっそり抜いたんですが、それはまた次回。
はじめて彼と一緒にバスに乗って、座席に座ったとき、俺は少しだけ緊張していた。
時は2003年、高2になりたての4月の初旬、たくさんの教科書を貰い、学校は午前中で終わった。クラスメイトになったばかりのSSくんと、高校から駅までの30分間、バスのなかで他愛もない話をすれば良いだけだ。ただそれだけなのに、俺は、同じ高校の同級生と勉強の話をしなくちゃいけないのが、どこか怖かった(前回の自分史1を参照ね)。
教科書をめくりながら、SSくんは一つひとつ偉そうにコメントを入れていく。
「まぁとりあえず、数学は余裕だな。ベクトルなんて、最初は上に矢印つければいいだけだし」(注;そんなこたーありません笑)
自信満々に教科書の内容を評価していく様子に、俺は無難なちゃちゃを入れながら、バスは木々でいっぱいの住宅地やだだっ広い風景を進む。
「問題は英語なんじゃないか。これ、とか構造取りにくいし。あと、この倫理ってのもよくわからないな。こりゃ、定期試験、やばいぞ!」
俺は、意味が分からなかった。まだ授業が始まってもないのに、どうしてそんなにも真剣に学校で習う内容を理解しようとしているのか。そして、勇気をもって、その気持ちを言ってみることにした。
『ハハハ、いや、まだ授業が始まってもいねーんだぜ?大丈夫だろ』
俺がそう言うと、SSくんは一瞬の真顔のあとに、すぐ笑顔を作り、
「確かに、それもそうだな笑」
と返してきた。
何気ないこの会話が、価値観のクラスチェンジだったのだと思う。これだけ真面目な態度の人間が、"ノリ"に流されるのを目の当たりにした初めての瞬間。
俺にとって、SSくんは、生まれて初めてできた「優等生なのにノリの良い」友達だ。そして、俺にとって、今も昔もずっと、最高の「憧れの友人」である。
彼は知れば知るほど良いヤツで、あらゆる分野で能力が高かった。
めちゃくちゃ背が高いわけでもないのに、高跳びでは3クラスで最後の2人にまで残るレベルで高く飛ぶ。みんなに、
「SSは実力で飛んでるからな」
と茶化されても、笑って流しながら、ジャンプする。
昼休みにはサッカーやバスケをやっていて、決まって自分の成果を自慢してくる。いつも自信満々で、でも、クラスの中で(俺みたいに)浮きそうなヤツがいれば率先して話しかけて、あだ名もつけていた。
俺がつけられたあだ名は、「番長」。目つきが悪いからだそうだ。今でも、SSくんからは「ばんちょー」と呼ばれる。
あんなにスポーツが好きなのに部活はやっておらず、日々バイトをして、特待生で入ってる予備校に通う。
「反省もできないほど忙しいからこそ、見えてくるものがある」
そんなことを言ってたこともあったっけ。。色んなことに手を付けているのに、どうしてそこまで自信があるのか理解できなかった。しかし、まぁ実際に、能力も高い。俺が、いま、根拠もなく自信満々な態度をとるのは、このSSくんの影響をかなり受けている。
彼からスポーツの楽しさも学んだ。体育でテニスをやれば一緒にペアを組ませてもらったし、球技大会でサッカーをやることになれば、放課後、彼の仲間たちと一緒に練習をしたりした。
そうそう、あの頃、まだまだ集団が怖くて怖くて、俺自身がスポーツ音痴すぎるので、みんなでてきとーにやってた練習試合で失敗しまくっちゃって、休憩中に誰にも言わずに黙って帰っちゃったんだよね。そうしたら、その夜、SSくんからメールが来て、「ばんちょー、なんで、いつ帰っちゃったの?なんか用事?」と。罪悪感というか、安心感というか、その時の気持ちは一生忘れないと思う。
そんなわけで、それなりに練習して挑んだ前後半10分のクラス対抗のサッカーは、俺の人生を変える試合となる。
俺とある程度、仲良くなると、必ずされる「あの」話です。
それまで、うちのクラスは他のすべての球技(バレー男子と女子、バスケ男子と女子、ドッジボール女子)で1回戦を突破していた。サッカー男子の1回戦は順番的に一番最後だった。
だが、俺が参加してたサッカーでは、前半終了時、うちのクラスは3-0で負けていた。完全なる負け試合だったのに、SSくんを含め、俺以外の他のクラスのメンバーは誰もあきらめていなかった。SSくんはフォワードもできるタイプだが、「キーパー、俺にやらせろ」と言ってファインセーブの連続。地道に1点2点と点を重ねるサッカー部のフォワード。少しでも諦めていたら、絶対不可能なプレーを俺の目の前で連発していた。
そして、試合終了時4-4。PK戦では、SSくんがファインセーブをし、うちのクラスは勝つのだった。歓声に包まれる中、俺は、自分にはもう永遠に訪れないであろうその瞬間を深くかみしめた。
俺は今でもスポーツの楽しさをよく知っているタイプではない。でも、もしかしたら、スポーツの一番気持ちの良いところを経験してしまったのかもしれない、と思う。この経験がなければ、きっと今も、すべてのスポーツを馬鹿にしていたと思う。
たとえ、可能性が低くても、全力でぶつかっていくことに価値がある。次の2回戦ではあっけなく負けてしまったが、「とにかく勝つ」なんてことよりも、得られてしまった充足感は、実際に俺の人生を変えた。「最後まで絶対にあきらめない」という、ありふれた名言を、常に信じてしまうほどに。
試合直後、SSくんは言った。
「決勝だったら、絶対に泣いてたよ」
と涙ぐみながら。
最近になって、俺がこの話をしたときに、SSくんは
「ばんちょーが、いまだにそんなに覚えてくれていて嬉しいよ。あぁいう体育会系のノリってさ、そうじゃない人には受け入れがたいものだし、あの時、俺らは、そうじゃない側の人に、申し訳ない気持ちもあったからね」
と言いながら、「あれさ、ほんとはさ、、」とPK戦の心理戦の裏側を嬉しそうに語っていた。
夏休みには、学校でやってた物理の夏期講習に一緒に参加した。少人数だから、お互いはじめて習う範囲なのに自分よりもSSくんのほうが理解が早いことを、直面する。もちろん、今では俺のほうが物理ができるけど、、それでも、SSくんに物理や数学について何かオフェンスされたら、ビビってしまうかもしれない。
そこで今も連絡を取っている、高2のときの物理の恩師、A先生が、俺とSSくんに、昼飯にコンビニでパンを奢ってくれた。SSくんは「うまいな。ありがたいな…」と噛みしめるように食べていた。
長い夏休み、SSくんと一緒にテニスをやろう、ってことになって、俺は中学時代の友人のケースケを誘い(自分史1参照)、SSくんとテニスコートを借りてテニスをすることになった。当時ケースケはテニス部で、ケースケは他に2人ほど連れてきていた。
正直、この時のことは断片的にしか覚えていない。俺が当時好きだった2大友達がお互いに会う。そんで、テニスする。途中まで、かなり仲良く、SSくんのおかげでいい試合をしていたと思う。当時、それ以上に楽しいことなんて想像もできないはずなのに、あんまり覚えていない。ただ、間違いなく分岐点で、この日を境に、ケースケと会わなくなって、放課後にケースケと会わなくなったぶん、よく勉強するようになった。何かキッカケがあったはずだし、何かの言い争いをした記憶もあるんだけど、具体的にどうだったかあんまり覚えていない。
その帰り、SSくんから、何かのバイトを紹介された。その時に、『いや、俺はバイトする気はないんだけど』と言うと、SSくんはいつもよりも強い口調で、
「だったら、ばんちょー、部活もやってないんだから、学年で1位とるくらい勉強しろよ」
と言われた。それは非常に正論で、ちょうど良いキッカケだった。確か、それからだったと思う。定期試験があるわけでもないのに、勉強する時間がやたら増えて、受験にむけての勉強を自分なりにし始めた。
それから、あっという間に冬が来て、それで、あの2003年のクリスマス。その日に、あらゆるすべての糸が繋がり、どうしてSSくんが常に自信満々なのか、日々勉強し、出来る限りスポーツを楽しみ、バイトまでしているのか、、そして、何より、弱者に非常に優しいのかを、理解した。いや、今でもきちんと理解できているかはわからないけど、、一応の解釈を与えることができるようになった。
あんな大変な状態のときでも、俺なんかに気を遣ってメールをくれるSSくんは、数少ない尊い人類の一人だと思っている。
大学受験を迎えた時も、浪人中も、ずっと応援してくれた。俺からSSくんにできることは少ないのに。浪人中の受験期間(って、実は一番怖いんです笑)、もうダメかもしれないってときに、助けてくれたのはSSくんからのメールだ。
D2の終わり、学振DC2に落ちた俺に、忙しいなか会ってくれて、「もう一度、学位を取れるまで、できることをやってみたら?」と諭してくれたのは、SSくんだ。彼はアカデミックに明るいわけじゃないけど、研究室やアカデミックにいるあらゆる連中なんかよりも、よっぽど、日本の研究を本当の意味で支えていると思う。
アメリカに行くって伝えた時に、面と向かって、すぐに「おめでとう」って言ってくれなかったよね。いつもの自信満々の表情がちょっとだけ消えて、帰ってからLINEで「気を付けて、頑張って来いよ」と言ってくれた時、俺自身がアメリカの研究室に行くことに何の価値も感じていないことをすっかり見抜かれていたことを察したよ。
お互い大学受かったときだってそうで、、いつだって、短絡的には「おめでとう」と言わない、そんな考究されつくした配慮が、どんなに俺を助けてきたか、わからない。
こないだは、ごめんね。4月1日のエイプリルフール、『日本に帰って結婚します』って、たなかくんとなおちゃんと仕組んだ、Facebookの投稿。一番最初に引っかかったのはSSくんだった。「寝耳に水だけど、結婚おめでとう」って、やっぱりちょっと含みのある言い方でさ、一番騙しちゃいけない友達が一番最初に引っかかっちゃって、俺の罪悪感はマックスで…(だったらするなよ、って話ですが笑)。だって、これまでで、結婚式で心から感動したのは、SSくんの結婚式だけだから。
すぐにLINEすると、「日本に帰るのは嘘じゃなくて良かった」って。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、泣いちゃったよ。
っていうか、そもそも、引っかかるほうが悪いんだぜ?
12年前の4月1日エイプリルフールにも、俺がこのブログをやめる、って言ったら、「ブログはやめないんだよな?」と言ってきてたじゃん。毎年やってるんだからさ。
お前と一緒に作った、ABCグループ理論、今の中高生にウケてるみたいでさ、俺のYouTubeチャンネルの一番の再生数だよ。5000回以上も再生されてるなんて、いまだに信じられないわ。
また、何か、価値あるものづくりを、一緒にさせてもらえたらな、って思っていたりするけど、、きっと忙しいもんね。俺は、お前が、本当の意味で暇になるまで、ずっとずっと待ってる。そして、そのためにできることがあるなら、なんでもしたいと思っている。
…というわけで、高3の時の話をごっそり抜いたんですが、それはまた次回。