案外、何かの絶対性を本気で信じられていた頃って、ただ単に夢と欲望の違いに鈍感なだけだったのかも。
遠くから過去の自分を見つめて、いちいち感情的になれていることに虚しさと羨ましさを同時に感じながらも、この人格が今も自分のなかに残っていないかを隈無くサーチしている。
何かの文章を書くときも、何かの論理を追うときも、何かの歌を歌うときも、何かの意見を口にするときも、何かの作業を繰り返すときも、身体に染み付いてしまった基礎に自然と従いながらやっている自分にうんざりしながら、環境そのものと自分自身にゆらぎをあえて与えて、楽しんでみる。
本気じゃないからこそ本質的になれることがあるし、熱中していないからこそ気がつく視点もある。そして、その成果物の一端について、他人から、オリジナリティがある等と評されると、素直になれず、天の邪鬼に『理解できていない』などと切り捨てて、あざ笑う。
確かに実際に『理解できていない』ことは多いだろう。
でも、確認のしようもないし、そもそも、もう、確認したいという気持ちを持てるだけの本気ささえない。そのぶん得られた「ゆとり」や「あそび」の部分が大切になってきてしまって、コアの目的以外の目的を見失ったままになっている。そして、そのコアの目的も達成されようとしている今、これまで以上に、この曖昧さこそが大事なんだという論理に落とし込もうとしている自分を、誰も止められないし、止めさせたくない。
つい10年前は、「やりたいことはなにか?」と問われたら、眼を輝かせながら語ることができた。
今は、「やりたいことはなにか?」と問われることは最も俺がイラついてしまう言動であり、そう訊かれれば、テキトーに気分で応えるか、「あなたがすでにストックしているストーリーに上手くのせて喋ることができないので、応えなくても良いか?」と確認をとる。
それは逆に言えば、「やりたいことができすぎてしまっている」せいなのかもしれない。だから、「きっとやりたいことができていない人生なんだろう」と決めつけてくるのが、ムカつくのかもしれない。
昔のキヲクを掘り起こされて、当時の薄っぺらさに気を病む日もある。チャランポランに生きてみたときに得られた種々の帰結に比べて、なんと思慮の浅い帰結で、、でも、多くの"普通"の人たちが、実際にそっちの軽率な思考回路を支持してくれていたことに、いっきに絶望してしまうこともある。
だけど、あんな日々よりも、今のほうが遥かにマシなことも確かなわけで、幻想のなかに最適化していける魔法があればかけてほしいけど、そんなことは現実にはありえないわけだから、今の自分だからこそ得られた知見を抱きしめながら、自分の大切な人にだけ配っていたいと思っている。
醒めた夢に戻ることは、ほとんどできないのだから。
遠くから過去の自分を見つめて、いちいち感情的になれていることに虚しさと羨ましさを同時に感じながらも、この人格が今も自分のなかに残っていないかを隈無くサーチしている。
何かの文章を書くときも、何かの論理を追うときも、何かの歌を歌うときも、何かの意見を口にするときも、何かの作業を繰り返すときも、身体に染み付いてしまった基礎に自然と従いながらやっている自分にうんざりしながら、環境そのものと自分自身にゆらぎをあえて与えて、楽しんでみる。
本気じゃないからこそ本質的になれることがあるし、熱中していないからこそ気がつく視点もある。そして、その成果物の一端について、他人から、オリジナリティがある等と評されると、素直になれず、天の邪鬼に『理解できていない』などと切り捨てて、あざ笑う。
確かに実際に『理解できていない』ことは多いだろう。
でも、確認のしようもないし、そもそも、もう、確認したいという気持ちを持てるだけの本気ささえない。そのぶん得られた「ゆとり」や「あそび」の部分が大切になってきてしまって、コアの目的以外の目的を見失ったままになっている。そして、そのコアの目的も達成されようとしている今、これまで以上に、この曖昧さこそが大事なんだという論理に落とし込もうとしている自分を、誰も止められないし、止めさせたくない。
つい10年前は、「やりたいことはなにか?」と問われたら、眼を輝かせながら語ることができた。
今は、「やりたいことはなにか?」と問われることは最も俺がイラついてしまう言動であり、そう訊かれれば、テキトーに気分で応えるか、「あなたがすでにストックしているストーリーに上手くのせて喋ることができないので、応えなくても良いか?」と確認をとる。
それは逆に言えば、「やりたいことができすぎてしまっている」せいなのかもしれない。だから、「きっとやりたいことができていない人生なんだろう」と決めつけてくるのが、ムカつくのかもしれない。
昔のキヲクを掘り起こされて、当時の薄っぺらさに気を病む日もある。チャランポランに生きてみたときに得られた種々の帰結に比べて、なんと思慮の浅い帰結で、、でも、多くの"普通"の人たちが、実際にそっちの軽率な思考回路を支持してくれていたことに、いっきに絶望してしまうこともある。
だけど、あんな日々よりも、今のほうが遥かにマシなことも確かなわけで、幻想のなかに最適化していける魔法があればかけてほしいけど、そんなことは現実にはありえないわけだから、今の自分だからこそ得られた知見を抱きしめながら、自分の大切な人にだけ配っていたいと思っている。
醒めた夢に戻ることは、ほとんどできないのだから。