最近、世間体や社会的な無難さによって、仲間を奪われることは多い。
それは時間の使い方という意味でもそうだし、「言葉」を得るために本当の気持ちを誤魔化して行動をとらなくちゃいけないこともそうだ。理不尽さを当然のことと見做す現代社会において、多くの大人が社会とはそんなものだ!と、そんな理不尽さを享受している自分たちだけで成り立っていると勘違いしている一方で、その不利益を利益のあるものに変えて補っているのは、他でもない俺自身だ。
不条理さなんてありふれているから、とほったらかしている無難さを最も体現している大人に云いたいことはただ一つ。自分が失敗すれば、相手が死んでしまうかもしれない恐怖を味わったこともないくせに、偉そうなことを言うな。
まぁ、でも、いくら社会が歪んでいるとはいえ、現代人、特に若者に、辛抱強さが足りないことも事実であると思う。
自分が描いた夢に対して、ほんのちょっとも信じ切らずに、ただただ世間にアジャストすることを選んでしまうことは、大変情けないことだし、もうちょっと耐えてみろよ、と思ってもいる。
石の上にも三年。自分の想いと、その場所で、とにかく辛抱強くしていれば、忍耐強くなり、冷たい石でも暖まっていくことを、もっとよく知るべきだと思う。
どんな場所であっても、やはり何年かは所属していないと、その世界の価値観の本当のところはわからないと思うし、技術も盗めないのだ。
ただし、、その場所が、本当に「石」の上に成り立っているのであれば、ね。
石の上ならば、石の上にも三年、であるとは思うが、その場所が、一見「石の上」に見せかけていて、乗ってみたら実はその石が底なしの沼の上に置いてある石だとわかったなら、1秒でも早く飛び降りなければならない。こういう場所ほど、その沼地の支配者を神格化しており、よその世界をまったく別の論理で動いていると信じており、いればいるほど抜け出すことができないような甘い蜜を吸わせるものだ。
自分の価値や自分の気持ちをきちんと構築していないから、沼の上の石に何十年も居続けるような人生を当たり前に思ってしまうのだ。
そして、それが人生ってものだ、その泥沼を受け入れるのが大人になるということなのだ、それこそが生き続けるために必要なことなのだ、と勝手にてめーの経験を一般化してんじゃねーぞ。ホンモノの愛に接しながら、自分の気持ちのままに楽しんでいれば、そんなに不安な想いをすることもない。
そんなときこそ、自分は特別な存在だ、って思い続けることだと思う。
その覚悟があれば、いつだって自由。
『これで、当初の目的は達成したな。やはりヤツは手強い。一筋縄どころか、何重にも対策を考えなくちゃ勝てないぞ』
「高橋さんのわりには、時間がかかりましたね」
『あぁ。思ったよりも楽しめてるよ。それなりに想定外のこともあったし』
「ちなみに、どうですか?わかってて沼に入った気分は?」
『最悪だよ(笑)。まさに、"まさかここまでとはな"、、ってね』
「ウラは取れたし、高橋さんの言う通り、別の話も来ました。さて問題です。この話と、あの人と、どちらをとりますか?」
『どちらかしかとれないなら?ってこと??』
「そうです」
『俺はどちらもとるつもりだけど、どっちかってんなら、決まってんだろ。自分が好きな対象に対して、どこまで本気でより良くできるか。そこにしか、生きる意味はない』
「さすがですね。この程度では、高橋さんは、ブレませんか」
『当然だ。向こうが下手に来なけりゃ、こっちから願い下げってレベルだからな』
俺自身は、優秀だし、能力もあるし、やる気もあるし、信頼関係の絶対量ももう十分にあるから、変に誰かに媚びる必要もない。
問題なのは、優秀だが、現在は能力とやる気が欠如している、大好きな対象に対して、どのように自己実現できるだけの環境を紹介すればいいか、もしくは環境を俺が作ればいいか?
そんなこと言ってるから、所詮、精神構造が小学生なんだよ、という声に対して、どーせ俺はお子ちゃまですよ、っとそっぽ向きながら、意識の焦点だけはあなたに合わせて、冷酷に表情と声色を読み取っている自分を感じると、俺も老けてしまったな、っと反省してみる。
そして、待ちきれない季節の中、歩き始めてみる。
Yui - My Generation
それは時間の使い方という意味でもそうだし、「言葉」を得るために本当の気持ちを誤魔化して行動をとらなくちゃいけないこともそうだ。理不尽さを当然のことと見做す現代社会において、多くの大人が社会とはそんなものだ!と、そんな理不尽さを享受している自分たちだけで成り立っていると勘違いしている一方で、その不利益を利益のあるものに変えて補っているのは、他でもない俺自身だ。
不条理さなんてありふれているから、とほったらかしている無難さを最も体現している大人に云いたいことはただ一つ。自分が失敗すれば、相手が死んでしまうかもしれない恐怖を味わったこともないくせに、偉そうなことを言うな。
まぁ、でも、いくら社会が歪んでいるとはいえ、現代人、特に若者に、辛抱強さが足りないことも事実であると思う。
自分が描いた夢に対して、ほんのちょっとも信じ切らずに、ただただ世間にアジャストすることを選んでしまうことは、大変情けないことだし、もうちょっと耐えてみろよ、と思ってもいる。
石の上にも三年。自分の想いと、その場所で、とにかく辛抱強くしていれば、忍耐強くなり、冷たい石でも暖まっていくことを、もっとよく知るべきだと思う。
どんな場所であっても、やはり何年かは所属していないと、その世界の価値観の本当のところはわからないと思うし、技術も盗めないのだ。
ただし、、その場所が、本当に「石」の上に成り立っているのであれば、ね。
石の上ならば、石の上にも三年、であるとは思うが、その場所が、一見「石の上」に見せかけていて、乗ってみたら実はその石が底なしの沼の上に置いてある石だとわかったなら、1秒でも早く飛び降りなければならない。こういう場所ほど、その沼地の支配者を神格化しており、よその世界をまったく別の論理で動いていると信じており、いればいるほど抜け出すことができないような甘い蜜を吸わせるものだ。
自分の価値や自分の気持ちをきちんと構築していないから、沼の上の石に何十年も居続けるような人生を当たり前に思ってしまうのだ。
そして、それが人生ってものだ、その泥沼を受け入れるのが大人になるということなのだ、それこそが生き続けるために必要なことなのだ、と勝手にてめーの経験を一般化してんじゃねーぞ。ホンモノの愛に接しながら、自分の気持ちのままに楽しんでいれば、そんなに不安な想いをすることもない。
そんなときこそ、自分は特別な存在だ、って思い続けることだと思う。
その覚悟があれば、いつだって自由。
『これで、当初の目的は達成したな。やはりヤツは手強い。一筋縄どころか、何重にも対策を考えなくちゃ勝てないぞ』
「高橋さんのわりには、時間がかかりましたね」
『あぁ。思ったよりも楽しめてるよ。それなりに想定外のこともあったし』
「ちなみに、どうですか?わかってて沼に入った気分は?」
『最悪だよ(笑)。まさに、"まさかここまでとはな"、、ってね』
「ウラは取れたし、高橋さんの言う通り、別の話も来ました。さて問題です。この話と、あの人と、どちらをとりますか?」
『どちらかしかとれないなら?ってこと??』
「そうです」
『俺はどちらもとるつもりだけど、どっちかってんなら、決まってんだろ。自分が好きな対象に対して、どこまで本気でより良くできるか。そこにしか、生きる意味はない』
「さすがですね。この程度では、高橋さんは、ブレませんか」
『当然だ。向こうが下手に来なけりゃ、こっちから願い下げってレベルだからな』
俺自身は、優秀だし、能力もあるし、やる気もあるし、信頼関係の絶対量ももう十分にあるから、変に誰かに媚びる必要もない。
問題なのは、優秀だが、現在は能力とやる気が欠如している、大好きな対象に対して、どのように自己実現できるだけの環境を紹介すればいいか、もしくは環境を俺が作ればいいか?
そんなこと言ってるから、所詮、精神構造が小学生なんだよ、という声に対して、どーせ俺はお子ちゃまですよ、っとそっぽ向きながら、意識の焦点だけはあなたに合わせて、冷酷に表情と声色を読み取っている自分を感じると、俺も老けてしまったな、っと反省してみる。
そして、待ちきれない季節の中、歩き始めてみる。
Yui - My Generation