今日は、小学校の同窓会でした。今、俺は20歳だから、卒業して9年くらいたてるのかにゃ。
たまに会ったりするヤツとかは顔が分ったけど、それ以外の方々はほーんとに認知できず、みんな変わっちまったなーって感じで。
んでも、言葉の端端の使い方とか、ちゃっかりしてる部分とか、ものすごい理屈屋な発言とかで、みんな変わってないなーっとも思いました。
そー言った意味では、俺が1番変わったのかもしれないなーなんて、思ったりしてました。
小学生の俺は、ただただ大人しかった。ただの何も意思を主張したりとか、できなかった。みんなに合わせたり、ふんふんって後ろのほーで笑っていたりしたよーな気がする。少なくとも、今よりは。だから、当然いじられるし、それがイヤだった。
そんな俺が、今やこんなにも、色んな意味で、強くなっちゃったのかと、同じメンツ、同じ風景のなかで、すごく感じた。
まあ、まず、今の俺は、こんな、自分の意見や主義主張を、はっきりブログに載せるような度胸(とまでは言えないかもだけど)を持ってしまっていた。それから、同じメンツから、当時と同じようにいじられても、それをただ単に言い返すだけの思考回路ではなく、言い返して、さらに笑いまでとってしまおうという思考回路まで、自然に身についていた(※)。
弱くって、もろくって、危なげで、自分が今にも隠したくなるようなマイナスの部分を、わざとさらけ出して、笑いに変えて、プラスにしちゃおうなんて、俺もこの9年間で随分、大それた必殺技を手にしてしまったなーと思う。
そりゃー、ぶっちゃけ、同窓会なんて、所詮、その場限りだから、いくらだってハったる事はできる。俺は、ただ、普段よりもずっと強い自分を見せて、当時の弱い自分を封印しようとしていただけなのかもしれない。
だけど、一人一人の顔では何も感じなかったけど、ちょっとした仕草や口癖などを聴いて、当時のことを限りなく近くに感じて、やっぱり、それを見越しても、いつもの普段通りの俺でも随分、「人間と接する」レベルが上がったんだなと思った。
普通、旧友の変化を見て楽しんだり、いやそーじゃねーな、もっと単純に、昔一緒に遊んでた旧友と楽しむのが同窓会なのかもしれないが、俺は自分の確実な変化に1番驚き、1番嬉しかった。
優越感?そうじゃない。同窓会自体も楽しかったし、嬉しかったんだよ、めっちゃ。うーん、なんていうか、ここで言いたいのは、前に読んだ本を読み返して、新しいことに気が付いた…そんな感じ。
だから、自分が成長したなーと感じるのと同時に、俺は随分と純粋ではなくなっているとも思った。見たものを見たまま受け止めるのが、純粋と定義するなら、なおさら。優しい一言でさえも「コイツは自分の利益のために言ってるんじゃねーか?」っと疑っている自分や、耳をふさぎたくなるような傷つく言葉でさえも「コイツはホントは寂しいだけなんじゃねーか?」と感じている自分に気付いた。
純粋な無垢な頃の自分を愛してないわけではないけど、うーん、やっぱ、いい意味で純粋でなくなってよかったのかもしれない、物理的には。音楽的には、損をしてるのかな。
うーん、自分のことをケイというくらい無邪気になりたい気もするし。うーん。
話は違うけど、みんな将来がある程度見えてていいなーって思った。俺は、そりゃ、はたからみれば、理系で有名大学に通ってるし、安定した将来像があるんだろうと思うのかなーと思うけど、でも、実際のところ、将来は不安定だ。
コレを見てる方で、俺のことを、よく知る人は分ると思うけど、俺は所属に落ち着きが無く、いろんなものに手をだし、しかも他人からは無駄で滑稽にみえる野心がある。将来、何もしたいことがない、というのと真逆で、したいことがありすぎて困る。
それは、それで、前者と同じくらい、大変な悩みなのだ。
そんな感じで、周りの友達が、急に最近、大人に見えてきたと思ってたけど、小学校の同窓生達も同じなのかと、また不安になった。
酔った勢いで書いてみたけど(笑)、同窓会から帰ってきて2時間くらいしか経ってない、今の感想をダラダラと書くと、こんな感じじゃ。
(※)俺は、だからって、世の中の小学生に「例え大勢にいじられても、言い返せて、しかもなるべくなら、笑いも取れなきゃダメだ!」とは、思わない。人間は弱くたって良いんだから。強い必要はまったくない。ただただ、本質的に優しければ、行動が伴わなくても、それだけで特殊能力なんだから。言い返す勇気がもてない人に対して、いじるヤツが悪いんだから。
たまに会ったりするヤツとかは顔が分ったけど、それ以外の方々はほーんとに認知できず、みんな変わっちまったなーって感じで。
んでも、言葉の端端の使い方とか、ちゃっかりしてる部分とか、ものすごい理屈屋な発言とかで、みんな変わってないなーっとも思いました。
そー言った意味では、俺が1番変わったのかもしれないなーなんて、思ったりしてました。
小学生の俺は、ただただ大人しかった。ただの何も意思を主張したりとか、できなかった。みんなに合わせたり、ふんふんって後ろのほーで笑っていたりしたよーな気がする。少なくとも、今よりは。だから、当然いじられるし、それがイヤだった。
そんな俺が、今やこんなにも、色んな意味で、強くなっちゃったのかと、同じメンツ、同じ風景のなかで、すごく感じた。
まあ、まず、今の俺は、こんな、自分の意見や主義主張を、はっきりブログに載せるような度胸(とまでは言えないかもだけど)を持ってしまっていた。それから、同じメンツから、当時と同じようにいじられても、それをただ単に言い返すだけの思考回路ではなく、言い返して、さらに笑いまでとってしまおうという思考回路まで、自然に身についていた(※)。
弱くって、もろくって、危なげで、自分が今にも隠したくなるようなマイナスの部分を、わざとさらけ出して、笑いに変えて、プラスにしちゃおうなんて、俺もこの9年間で随分、大それた必殺技を手にしてしまったなーと思う。
そりゃー、ぶっちゃけ、同窓会なんて、所詮、その場限りだから、いくらだってハったる事はできる。俺は、ただ、普段よりもずっと強い自分を見せて、当時の弱い自分を封印しようとしていただけなのかもしれない。
だけど、一人一人の顔では何も感じなかったけど、ちょっとした仕草や口癖などを聴いて、当時のことを限りなく近くに感じて、やっぱり、それを見越しても、いつもの普段通りの俺でも随分、「人間と接する」レベルが上がったんだなと思った。
普通、旧友の変化を見て楽しんだり、いやそーじゃねーな、もっと単純に、昔一緒に遊んでた旧友と楽しむのが同窓会なのかもしれないが、俺は自分の確実な変化に1番驚き、1番嬉しかった。
優越感?そうじゃない。同窓会自体も楽しかったし、嬉しかったんだよ、めっちゃ。うーん、なんていうか、ここで言いたいのは、前に読んだ本を読み返して、新しいことに気が付いた…そんな感じ。
だから、自分が成長したなーと感じるのと同時に、俺は随分と純粋ではなくなっているとも思った。見たものを見たまま受け止めるのが、純粋と定義するなら、なおさら。優しい一言でさえも「コイツは自分の利益のために言ってるんじゃねーか?」っと疑っている自分や、耳をふさぎたくなるような傷つく言葉でさえも「コイツはホントは寂しいだけなんじゃねーか?」と感じている自分に気付いた。
純粋な無垢な頃の自分を愛してないわけではないけど、うーん、やっぱ、いい意味で純粋でなくなってよかったのかもしれない、物理的には。音楽的には、損をしてるのかな。
うーん、自分のことをケイというくらい無邪気になりたい気もするし。うーん。
話は違うけど、みんな将来がある程度見えてていいなーって思った。俺は、そりゃ、はたからみれば、理系で有名大学に通ってるし、安定した将来像があるんだろうと思うのかなーと思うけど、でも、実際のところ、将来は不安定だ。
コレを見てる方で、俺のことを、よく知る人は分ると思うけど、俺は所属に落ち着きが無く、いろんなものに手をだし、しかも他人からは無駄で滑稽にみえる野心がある。将来、何もしたいことがない、というのと真逆で、したいことがありすぎて困る。
それは、それで、前者と同じくらい、大変な悩みなのだ。
そんな感じで、周りの友達が、急に最近、大人に見えてきたと思ってたけど、小学校の同窓生達も同じなのかと、また不安になった。
酔った勢いで書いてみたけど(笑)、同窓会から帰ってきて2時間くらいしか経ってない、今の感想をダラダラと書くと、こんな感じじゃ。
(※)俺は、だからって、世の中の小学生に「例え大勢にいじられても、言い返せて、しかもなるべくなら、笑いも取れなきゃダメだ!」とは、思わない。人間は弱くたって良いんだから。強い必要はまったくない。ただただ、本質的に優しければ、行動が伴わなくても、それだけで特殊能力なんだから。言い返す勇気がもてない人に対して、いじるヤツが悪いんだから。