原一男監督「水俣曼荼羅」を見る。
水俣病がテーマ。三部構成、
6時間12分という長尺にドン引きして、
見ていない人はアレですよ〜勿体ないですよ〜。
水俣病は末梢神経の病気ではなく、
有機水銀が脳の機能を損傷するからだという実証が積み重なるところ。
水俣病が間違った解釈のもと、認定が行われていたせいで、
病気が認められなかった人が多数いることへの驚きと怒り。
国を相手取って、裁判で争う患者や弁護士、支援者たちの思い。
あまりにも水俣病について無知な自分を恥じつつ、
気がついたら映画にどんどん引き込まれていき、
6時間12分が短く感じるほどだったという。
そうだ。思い出した。原一男監督の映画は
語り口が絶品なのだ。そういえば
「さようならCP」も「ゆきゆきて神軍」も
編集がとてつもなく巧みだった。
うっとりするような美しい場面を見せていたと思ったら、
おもわず悲鳴を上げたくなるような
強烈な場面を見せつけてくるわけで。
たとえば、
最高裁で勝訴した
水俣病患者と支援者が、環境省の役人と対面し、
被害者側の怒号が飛び交うなか、
役人たちが姑息なメモ書きを交換しあっている瞬間
弁護団の女性が無理矢理そのメモを奪い取る場面。
水俣病患者の男性が、
結婚した頃のエピソードを妻と一緒に語るとき、
カメラを手にした原監督がほんとに嬉しそうに
「初夜はどうだったんですか?」と聞いてのける場面。
本作の終盤。6時間近く見せられてきて、
結末らしい結末が来るんだろうかと思っていたら、
作家の石牟礼道子さんが登場し、「悶え神」という
役に立たずとも隣にやってきて、
悶え苦しむ神のことについて語り、
石牟礼さん自身がその神ではないかと思わされる場面。
驚き、笑い、
打ちひしがれたり圧倒させられたりする場面が
20分に1回ぐらいはあるわけで、
映画をとことん面白くするぞという
作り手の揺るぎない意志。
水俣の映画といえば、
土本典昭監督の作品群を避けて通るわけにはいかず、
本作も土本監督の、とくに「水俣病 患者さんとその世界」に
オマージュが捧げられている。詩的で美しかった土本作品と
散文的で下品(褒め言葉)な本作。
ともに魅力的であるのは間違いない。