スティーブン・オカザキ監督『ヒロシマ/ナガサキ』を見る。
ここ最近、当事者の言葉の意味を考えることが多く、
まさに当事者の言葉で構成されたこの映画を見ながら、
原爆を体験していない自分に問いかけていた。
「この人たちの気持ちが本当にわかるのか」と。
結論から言うと、
「被爆した人の気持ちはわからない」である。
この映画に登場する被爆者の人たちの体験は、
思わず目と耳を塞ぎたくなるほどの不幸にまみれている。
それでも僕は、彼らの話を聞き、
悲しい人生に思いを馳せ、
ときには涙ぐむ。
そして「戦争は二度とやってはいけない」と思う。
そう思う自分は正しい、と思う。
観客をそういう気持ちにさせるのが、
この映画の目的であることは明らかだ。
でも、わからない。
そして、本当の意味で彼らを理解できない。
そう思う自分がいる。
もしかしたら、
ヒステリックに「戦争反対!」と言ってしまいそうな
自分が嫌なのかもしれない。
だから、できるだけクールに
ヒロシマとナガサキの悲劇を受けとめようとしているのだろうか。
ワンシーンだけ安堵したところがあった。
被爆者の老人が、自分の体験を語ったあと、
広島市民球場で、カープの応援をしている場面だ。
カープの選手がタイムリーを打ち、
その老人はメガホンを持って、喜ぶ。
僕も、もし何かの拍子に被爆(ありえない話では、ない)して、
不治の病に悩まされたとしても、
きっと神宮球場に行き、ドラゴンズの応援をするだろう。
悲惨な体験をした人でも、
どこかの瞬間で、楽しく高揚する瞬間を得ることができる。
それが人間ってものだし、人生なのかもしれない、と。
ここ最近、当事者の言葉の意味を考えることが多く、
まさに当事者の言葉で構成されたこの映画を見ながら、
原爆を体験していない自分に問いかけていた。
「この人たちの気持ちが本当にわかるのか」と。
結論から言うと、
「被爆した人の気持ちはわからない」である。
この映画に登場する被爆者の人たちの体験は、
思わず目と耳を塞ぎたくなるほどの不幸にまみれている。
それでも僕は、彼らの話を聞き、
悲しい人生に思いを馳せ、
ときには涙ぐむ。
そして「戦争は二度とやってはいけない」と思う。
そう思う自分は正しい、と思う。
観客をそういう気持ちにさせるのが、
この映画の目的であることは明らかだ。
でも、わからない。
そして、本当の意味で彼らを理解できない。
そう思う自分がいる。
もしかしたら、
ヒステリックに「戦争反対!」と言ってしまいそうな
自分が嫌なのかもしれない。
だから、できるだけクールに
ヒロシマとナガサキの悲劇を受けとめようとしているのだろうか。
ワンシーンだけ安堵したところがあった。
被爆者の老人が、自分の体験を語ったあと、
広島市民球場で、カープの応援をしている場面だ。
カープの選手がタイムリーを打ち、
その老人はメガホンを持って、喜ぶ。
僕も、もし何かの拍子に被爆(ありえない話では、ない)して、
不治の病に悩まされたとしても、
きっと神宮球場に行き、ドラゴンズの応援をするだろう。
悲惨な体験をした人でも、
どこかの瞬間で、楽しく高揚する瞬間を得ることができる。
それが人間ってものだし、人生なのかもしれない、と。