思う心の仇桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは
だったか、こんなウタがあったが、人の命の儚さで、明日があるかどうかは判らない。
布川事件の闘いに大きな存在として支援の力を貸してくれた前救援会都本部事務局長だった深澤さんが急逝した。
つい先日都本部へ行ったときにカッちんから「深さんは体調が悪いらしいよ。心臓が悪いんだって」と聞かされて、近いうちに入院して手術だと知っていたが、まだ入院したとも聞かないのに、いきなり息子から「父が亡くなった」との電話だった。
深澤さんは狭山事件の支援から救援運動に関わりその後東京都本部に勤務して布川事件にも力を尽くしてくれた。
深さんは、正直と言うか単純と言うか、自分の嫌な相手からの電話対応などはブッキラ棒で、実に解りやすい人だった。色々と評価はあったが、根は優しくて良い人だった。
あれは俺が仮釈放になった翌年の正月、深澤家に招待されてスキー旅行に行ったことがあった。家族と雑魚寝してスキーをして、自由になった喜びを味わったが、その後も、何度か深澤家には招かれたこともあって、あれは俺が独りでいることに思いを寄せての招待だったのだろうと、今更ながらに深さんの優しさを知る思いになる。
まだ63歳。逝くには若過ぎるし、やりたいこともあったろうにと思うと、本当に残念だ。
息子の声が、深さんとソックリで「父が亡くなった」と結び付かなくと、理解するまで時間が掛かったのだが、電話を切った後、その息子の声が深さんに重なり、長く支援して頂いた思いを振り返って涙が出たなぁ。