桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

菅選挙演説

2011-03-13 | Weblog
今、菅直人が国民に向けた話をした。
この人、ダメだねぇ。
まあ全体に頑張ろう!の話で良いのかも知れないが、未曾有の災害。今こそ、200兆を超える内部留保、金を持っている大企業が、その金を使い、日本の新たな明日に向かう力にすべきだろう。
そこは話せないかも知れないが、スローガンだけを話して涙目になり、記者の質問にも答えずに退席した姿を見て、この人は任にあらず、やはり野に置けレンゲ草だなぁ、と感じた。
事があって人は判るが、菅直人、これはダメだわ。

奇跡

2011-03-13 | Weblog

昨日で、水戸の片付けは一段落。で、今日は利根町の家を確認するために、朝早くに利根町に向かった。
午前9時30分、水戸を出たが、国道6号は、すぐ近い浜田交差点からは通行上の放送。水戸駅前から茨城町を通過し、途中、独り暮らしの支援者を訪ね、無事を確認。
国道6号も通過したが、やはり混雑が始まったので、早々に左手に入り、玉里方面から土浦を目指したが、ガソリンスタンド営業中の道路は大混雑だった。
玉里から高浜駅を通過し、かすみがうら市を抜け、何とか裏道から竜ヶ崎市、利根町とたどり着いたときは、約2時間半。
自宅に着いて見ると、全く外見に変化はない。
玄関を開けても玄関内は、これも変化はない。
玄関の障子を開けて板の間を見れば、ありゃあ?ギターが傾いている他は、どこに地震があったのか判らない感じだ。
板の間に上がり、暖簾を分けて部屋を見ると、左手と右手の衣裳ケースも倒れてないし、右手のタンスも平常。ただ、タンス上にあった若干が落ちていた。
アコーディオンカーテン先の部屋はと見れば、ここはテレビも位牌も無事!
台所はと見れば、冷蔵庫も電子レンジも茶箪笥も、平然と立っている!レンジ茶箪笥の上にあった物が、少し落ちていた程度だ。
どうなってんだ、この家は!
ガス台に乗せた鍋が、全然動かないで乗っていたのには、これは奇跡だと感動!柱が腐ってるのに不思議な家だねぇ。
写真の1枚は、隣の家と較べた我が家の屋根。左手と右手の屋根の違いは判るだろうか。
2枚目は、台所のガス台上にある鍋。なぜ落ちなかったんだろね?

惨事

2011-03-13 | Weblog
川上から若宮のアパートに帰る道路は、信号が消えて、車が溢れていたが、全く混乱がなく、交差点も譲り合って流れていた。
メイン道路は避けて、裏道を通る道筋は、やはり被害が各所にあり、ラジオで世界で四番目の巨大地震と聞いて震源地宮城の被害が案じられたが、早くも塀や瓦の片付けをしている人がいた。
アパートに着くと、余震に怯えて外にいる人が一杯いた。
アパートのドアを開けると、まず靴箱が倒れて靴が散乱。玄関左手の風呂場のドアが開き、浴槽に入れてあった水が玄関をも濡らしていた。
部屋に入ると、お勝手は冷蔵庫がガラス戸付近にまで、1メートルは動き、お勝手の机に乗せていた調理類は、総てが散乱!レンジは壊れて足の踏み場もない。更に、部屋を見れば、入口の茶箪笥が倒れてテレビに当たっていた。もちろん、中の食器類は、総て畳に落ちて散乱!タンスの上に乗せていた物はもちろん、中からも物が飛び出して散乱していた。
奥の部屋は、俺の敷いたままの布団の上に本棚が倒れていた。机の上にあったパソコンやプリンターも飛んでいた。
惨状だった。
もし寝ていたらば、どうなったか、冷や汗モノだね。写真は、一応、少し整理した後の部屋。

大地震

2011-03-13 | Weblog
一昨日、午後2時半からと言うヒロトのプールに連れて行った。
「帰りも迎えに来て!」と言うヒロトを「床屋に行くから迎えは微妙だな」と返事し、少し様子を見てから帰ろうとした。
子供たち、4、50人が、先生の指導で準備体操をするのを2階から見下ろし、目が合ったヒロトに手を振っていたりした。
子供たちが順番に、背中に浮き輪を付けて貰い始めたとき、地震が始まった。
全く縦揺れや音がしないで始まったので、今までの経験から、それほど大きくはないだろうと思った。
しかし、段々と揺れは激しくなり、沢山の母親や子供たちは階下に逃げる人が出始めた。とにかく外に、と声を出して、俺と若い父親が2階テラスに出るときは、プールの水は溢れて飛沫を上げ、その中を子供たちは先生たちに誘導されて外に出ていた。
俺がテラスに出たときは、もう歩くのが大変なほど。最後にテラスに来た若い父親に、ドアが開かなくなるから閉めないように言い、全員ど座り込んだが、凄まじい揺れ方と思っただけで、詳しく記憶していない。子供や母親が泣いているのを覚えているだけだ。
揺れがおさまり、すぐ子供たちのところへ行ったが、子供たちは全員が芝生に固まり、支給されたバスタオルを纏っていた。母親に抱かれて泣いてる子、友達と泣いてる子、沢山いたが、ヒロトはと見れば、ケロッとしている。
もうロッカーに入らないで、このまま子供を連れ帰って欲しいと言う指示に従い、ヒロトの靴だけを持ち出して帰ろうとしたらば、プール建物入口タイル路に出来た地震での30センチくらいの段差を面白がり、遊ぼう!って言う。
家に連れ帰る車の中で、恐かったね?と言ったらば、面白かったよ!と言う。
怖さを面白いと表現したのかも知れないが、沢山の子供たちが青ざめたり、泣いていたのに、ケロッたとしてるヒロトは肝が太いわ。川上に帰る風景は、家の屋根瓦が落ち、塀が倒れ、大変な災害の始まりを知った。