先日の
消費についての哲学対話から
時々ふと
それらが浮き上がってきて
考えるわけですが
やっぱり
多くの人が持っているイメージの
消費者に通じる
何かを購入するとゆうこと
ではなく
時間が私の消費の対象だな
と思う今日この頃。
考えるって
面白いことですね。
この面白さを共有できる
その有り難さに浸りつつ
今日も爽やかに始まります。
ながさん
岩手はいかがお過ごしですか。
消費
時間
の流れは
人生ってところで
誰もが迎える死に向かって
「その時間を、何に費やすますか?」
と問い続けられている
のだと思います。
死
これだけは
誰にでも平等に訪れるわけですが
いつその時が来るのかは
誰にもわからないわけで。
その
いつ来るのか分からない
分からさなの中で
ひとときも留まることなく
費やし続けられる時間。
この使い方で
私とゆう存在は
表現され続ける
のだろうなと。
ながさん
確かに12月ともなれば
もう新しい家族の形ですね。
オムツ替えは
気合いでしょうか。
こちらの
新たな境地も
楽しみにしておりますよ。
消費についての哲学対話から
時々ふと
それらが浮き上がってきて
考えるわけですが
やっぱり
多くの人が持っているイメージの
消費者に通じる
何かを購入するとゆうこと
ではなく
時間が私の消費の対象だな
と思う今日この頃。
考えるって
面白いことですね。
この面白さを共有できる
その有り難さに浸りつつ
今日も爽やかに始まります。
ながさん
岩手はいかがお過ごしですか。
消費
時間
の流れは
人生ってところで
誰もが迎える死に向かって
「その時間を、何に費やすますか?」
と問い続けられている
のだと思います。
死
これだけは
誰にでも平等に訪れるわけですが
いつその時が来るのかは
誰にもわからないわけで。
その
いつ来るのか分からない
分からさなの中で
ひとときも留まることなく
費やし続けられる時間。
この使い方で
私とゆう存在は
表現され続ける
のだろうなと。
ながさん
確かに12月ともなれば
もう新しい家族の形ですね。
オムツ替えは
気合いでしょうか。
こちらの
新たな境地も
楽しみにしておりますよ。