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〝賢治の「稲作と石灰」〟の目次

2020-10-04 13:00:00 | 目次
《『校本宮澤賢治全集第十二巻(下)』(筑摩書房)の口絵写真より》

 

          賢治の「稲作と石灰」
 はじめに
第73回岩手芸術祭に入賞はしたものの
本日の下根子桜(10/6)32
『文芸評論大会』(10/11)に参加

論文『宮澤賢治の「稲作と石灰」について』

 以下は関連資料
1 「東北砕石工場技師時代」要再考
2 「東北砕石工場技師時代」とは
3 『年表作家読本 宮沢賢治』より
4 『あるサラリーマンの生と死』(佐藤竜一著)より
サラリーマン賢治
小岩井農場の土壌改良
鈴木東蔵と東北砕石工場
賢治の出番
初めての東北砕石工場訪問
いよいよ東北砕石工場の技師となる
昭和6年の花巻地方「稲作は平年作以下?」
賢治は冷害の経験が実質的にはなかった
月給五〇円で趣味に生きる
セールスマンとしての奔走
猛烈サラリーマン
賢治「やけくそ」になって営業
仕事への満足感
工場の生産が増強
農家向けの受注は途絶えてしまう
搗粉販売に力を入れる
建築用壁材料に活路
出京の遅れ
全国優良農具実演・肥料展覧会
何かがおかしい「上京、肺炎で倒れる」
花巻に帰宅
東蔵への最後の手紙

5『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著)より
苦しい東北砕石工場の経営
フレットミルの据え付けにより需要拡大
東蔵と賢治の初対面は昭和4年春
「賢治宛来簡」は存在している
定性的には正しかったのだが定量的には?
当時の岩手の水田のpHの実態を知りたい
賢治の東北砕石工場への献策と頑張り
日に日に高まる賢治の工場経営参加意欲だが……
「とにかく家を離れて自立したい」
「炭酸石灰の公告」の変化から
「石灰は土壌の酸性を中和します」と水稲
昭和6年頃の賢治の指導はまだ漠としていた?
変わっていった賢治の稲作における施肥法
羅須地人協会時代の賢治ではなくなっていた
東北砕石工場技師となったことの意味すること
「東北砕石工場技師・宮澤賢治」誕生の大きな意味
猛烈セールスマン賢治の動向
花巻営業所長としての営業活動開始
賢治外回りの営業活動も開始
「王冠印手帳」より
秋田での「とびこみ」営業
宮城県での営業活動
搗粉の宣伝・販売
昭和6年7月7日頃の賢治
炭酸石灰普及からウエイトはセールス活動へ
壁材料製造・販売に活路を
ちゑとの結婚話が再燃したようだが
なぜ直ぐに上京しなかったのか
いよいよ出京
現通説「昭和6年の上京の際」の信憑性
着京したものの熱発したというが
思考実験〈賢治三回目の家出〉
熱退ケバ病ヲ報ズルナク帰郷
昭和6年の上京についての結論
帰花後の賢治
昭和7年1月29日付高橋久之丞宛書簡 
次第に受動的な姿勢に変化していった
昭和7年から賢治没まで賢治の病状
すさまじい東蔵の苦しみ
東北砕石工場と東蔵のその後

6『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)より
肥料展覧会で展示したものは
「宮沢先生が石灰岩抹といわぬ日はなかった」
石灰岩抹の粒子の大小
南城産業組合へのタンカル売り込み
タンカルが農家の疲弊に拍車
賢治の社会的活動に終焉

7 資料・東北砕石工場技師時代の評価
『宮澤賢治追悼号』(昭和9年1月)
『宮澤賢治研究1』(昭和10年4月)
『宮澤賢治研究2』(昭和10年6月)
『宮澤賢治研究3』(昭和10年8月)
『宮澤賢治研究4』(昭和10年11月)
『宮澤賢治研究5・6』(昭和11年12月)
『宮澤賢治研究』(草野心平編、昭和14年9月)の「研究」から
『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店、昭和13年5月)
『村塾建設の記』(松田甚次郎著、実業之日本社、昭和16年1月)
『續 土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店、昭和17年12月)
『宮澤賢治研究』(草野心平編、昭和14年9月)の「追想」から
『イーハトーヴォ第二号』(昭和14年12月)
真壁仁と松田甚次郎
『イーハトーヴォ第三号』(昭和15年1月)
『イーハトーヴォ第五号』(昭和15年3月)
『イーハトーヴォ第八号』(昭和15年6月)
賢治はそのことを知っていたはずなのに
あれっ、知らないのは私たちだけ?
恩師関豊太郎の石灰についての談話
真相を探ってみる
『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和17年9月)
『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)
宮澤賢治と戦意昂揚
『宮澤賢治素描』(関登久也著、協栄出版、昭和18年9月)
『雨ニモマケズ』(斑目榮二著、富文館、昭和18年11月20日)
・『宮澤賢治覚覺え書き』(小田邦雄著、弘學社、昭和18年11月30日)
『宮澤賢治覚覺え書き』の「序」より
「續萬葉精神を繼ぐもの」
そのまま還元しているのでは?
自惚れる時も謙遜する時も
「雨ニモマケズ」の全文が2回も登場
『常磐木』(大政翼賛会文化部編、翼賛図書刊行会、昭和17年3月)
土地改良の熱願
谷川徹三の講演「今日の心がまえ」(昭和19年9月20日)
谷川徹三の講演(誰かの記述をそのまま引?)
谷川徹三の講演(賢者の文学)
谷川徹三の講演(谷川に問いたい)
「今日の心がまえ」は「滅私奉公」である?
谷川徹三の『自伝抄』より
裏付けもなく、検証することもなしに
『宮澤賢治』(森荘已池著、杜陵書院、昭和19年1月)
『農民藝術 No.1』(農民藝術社、昭和21年5月)
『農民藝術 No.2』(農民藝術社、昭和21年12月)
『農民藝術 No.3』(農民藝術社、昭和22年4月)
『農民藝術 No.4』(農民藝術社、昭和22年9月)
『農民藝術 No.5』(農民藝術社、昭和22年11月)
『農民藝術 No.6』(農民藝術社、昭和23年3月)
『農民藝術 No.7』(農民藝術社、昭和23年8月)
『農民藝術 No.8』(農民藝術社、昭和24年7月)
『宮澤賢治素描』(関登久也著、眞日本社、昭和22年3月)
『續 宮澤賢治素描』(関登久也著、眞日本社、昭和23年2月)
『宮澤賢治研究1』(農民芸術社、戦後版、昭和23年3月)
『宮澤賢治研究2』(農民芸術社、戦後版、昭和23年10月)

8 その他
〔施肥表A〕と石灰窒素

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《出版案内》
 この度、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))

を出版しました。
 本書の購入を希望なさる方は、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
 なお、岩手県内の書店における店頭販売は10月10日頃から、アマゾンでの取り扱いは10月末頃からとなります。

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