みちのくの山野草

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賢治の東北砕石工場への献策と頑張り

2021-01-27 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
〈『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)〉

 『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』にはこんなこと、
 「貴工場に対する献策」 と題する書簡を受け取った東蔵は、思いがけない事態に大喜びをする。…(投稿者略)…それまでの広告文作製に関わる学術的な情報提供とは全く異なり、工場経営それ自体に係わる賢治独自の構想まで披瀝したものだった。
             〈『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)96p〉
も述べられていた。かつては「商売」を嫌っていたはずの賢治なのに、その「商売」に命を懸け始めたかの如くに活発に動き出したようだ。
 そして伊藤良治氏は、この「貴工場に対する献策」において、
  ・その献策の第一が、よく知られている「炭酸石灰」の命名
  ・販売価格について
  ・品質について
  ・販路の開拓について
  ・製造権の登録
  ・新たな事業
等の献策をしたということを紹介している。
 
 ちなみに、それぞれの項目の具体的な内容は、『新校本 宮沢賢治全集〈第14巻 下〉雑纂 本文篇』(筑摩書房)の168p~によれば以下のとおり。
一、販売名称に就て。
石灰岩を粉砕した肥料を、従来石灰岩抹石灰岩粉石灰石粉等と称して居りますが、これらの名称は、どうもまだ一般購売者の理解が進まない為に不利かと思はれます。則ち「石のままでは利くまい。」とか「石なら山にいくらでもある。」とかいった風の考が多いのであります。そこで充分に購売慾を刺激し、且つ本品の実際的価値を示すには「肥料用炭酸石灰」の名称がいゝと前々から考へて居りますがいかがでせうか。炭酸石灰と云へば所謂薬用の沈降炭酸石灰の稍々粗なるものといふ風の感じでどこか肥料としては貴重なものでもあり、利目もあるといふ心持ちがいたします。法律的にもこの名称は差支あるまいと思ひます。何分石灰岩は炭酸石灰が大部分なのですから。
二、販価に就て。
本品は元来廉価を特徴とするのでありますが、これは実はご承知の通り、微細ないゝものを作るとすれば、焼灼工程に比して、そんなに廉く仕上る訳でもありません。けれども購売者の方では、少し理解が進んで来ると、燃料代をそっくりそのまゝ廉く仕上るやうに考へます。尤もいまの消石灰等の価格は相当に高くなってゐますが、相当の設備でコークスでどんどん灼くやうになると可成競争が要ります。それに対しては、いまのうちから粒子の大小や篩別の有無によって、数段の等級をつけ、大に廉価なものも作って置いてそれは牧草地草地専用とでもして置くがいゝと思ひます。
尚御参考までですが、他から価格の廉否の照会があるでせうから申し上げて置きますが、本品の価格は、
a.石灰含量の点から云へば消石灰の四分の三、次に
b.速効の程度から云へば、最微粒のもの即ち撒布後二三回の雨によって全く粒子が溶解するやうなものは消石灰と同価格、それからだんだん粒が大きくなるに従って廉くなり遂に直径五分なんて云ふのはまづ肥料用としては無価値になります。
c.けれども栽培の技術としては、広告文にも書きましたやうに速く利くからいゝといふものではありませんので、栽培の目的にちゃうど適ふ直径一ミリあたりまでは消石灰と同価値と思ひます。即ち、
d.一ミリ以下のものは消石灰が十貫一円二十銭ならば九十銭まではよからうと思ひます。勿論多量に売る為、社会奉仕の為にどしどし廉くされるのは重々願ふ所であります。
三、品質に就て。
製品の品質は、主に原石中の石灰含量や不純物の性質、粒子の微細度と粒子の形態に依って定まります。
原石に就いては石灰含量の二%や三%のことは問題ではありません。独乙ではわざわざ泥灰石さへ使ってゐます。
泥灰石でもこの辺にありますから、誰かゞほしいと云ったらそれでお作りになるのもいゝでせう。たゞ多量の炭酸苦土を含むのはいけないと思ひます。それはまだ定説ではありませんが石灰率といふ学説があって技術者連中が何か云ひますから。尤もうんと苦土を含んだものは別に応用があります。原石の色も問題ではありませんが、砕いたあとまでその色があまり濃いやうだとどうしても、購売者には粗悪に見えます。原石が晶質で特に珪酸を含むことが少なければ粉砕の工程は速いと思ひます。ご実験を願ひます。
細微度は既に前回にも申し上げた通りであります。粒子の形態も前に申し上げてありますが、稜角多く裂罅の多いものほど速効であります。円い粒子を作りますと仲々砕け難くなります。これらもご実験ねがひます。頑固な技術者を説服するには、これらのご実験書類が一番です。
四、販路の開拓に就て。
貴工場の現在の位置は、実に東北に最たるものでありますが、今後農業の進歩に伴れてだんだん競争者もできて来ることはご覚悟がいります。同時にその頃は需要も今の何十倍でありませう。盛岡の電気会社や亜炭会社でも大正十年頃には、この事業も考へたのですが、どうも岩手軽鉄に輸送力がなく且つそちらの技術者が居なかったので止めたのであります。
それで沢山の工場が出来ますと、或る程度の設備をした上は、競争は運賃の小、即ち距離の問題になりますので、今折角遠いところへご宣伝になってもあとでもっと近くに工場が出来ると折角こっちの骨折りを横から奪はれることになります。そこで地質図と鉄道運輸図とを按じますと、貴工場としては、宮城県の大部分、岩手県の南半、(並に多分は山形県の北半)に宣伝なさるのが得策と存じます。将来の競争者としては、花釜線の鱒沢駅(恐らくは十年後)横黒線の仙人(これは大敵ですが恐らくは五年後)八戸線の鮫附近、東北本線の福岡附近、福島県の南部のある地点位のものでありませう。いまは大阪や日立から沢山出てゐるやうですが。
五、新肥料の製造に就て。(並に商標に就て)
けれども上述のやうな次第では、事業としては甚遺憾な点がありますので、何か他の競争を許さないやうにやって行きたいのであります。それには本品を原料として他の有用な肥料を簡単に作成する案を得てその製造権を登録したいのであります。関農学博士は消石灰を半々に混じて販売することを云はれたことがありますがこれはどうも損だと思ひます。これらの点に就ては充分御考慮の要があると思ひます。
尚新肥料でなくてもいまの製品を単に篩っただけでも何か商標をつけて置かれることが得策であります。一昨年八戸から俵へ詰めて非常に粗悪な岩塊の入ったものが花巻に入って私も大へん迷惑したことがあります。岩印とか東印とか適宜御工風をねがひます。包装に押すか張りつけるかなさるといゝと思ひます。中味にも一枚入れる方がいゝと思ひます。木版でいゝでせうから。
六、貴工場の設備でできる他の事業に就て。
製造に余力のある際他のお仕事は沢山あるでせうがいま花巻でも計画されたりしてゐる大理石や一般飾石の研磨の事業は今後洋風建築の発達と一般好尚の進歩に伴って充分間に合ふと思ひます。原料は大船渡線には相当ある筈であります。これらはほんの附けたりであります。
以上すべて御承知のこととは存じましたが、私も数年来調査して来たことでありますので、何かお役に立てば甚幸甚であります。
(それから広告文を書いてから気が付きましたが、貴工場では消石灰も生石灰も作られるか扱はれるかしてゐらっしゃるやうですがこれは実にいゝと思ひます。三種の石灰を持ってゐて、特に炭酸石灰が実情に適するから使ってくれといふのは大いに強みです。)
 
 肥料については殆ど素人の私でさえも、この献策の長文と盛りだくさんの内容から、如何に賢治が張り切って献策しているか、その頑張りが容易に想像できる。
 そしてその献策の最初が、例の名称「炭酸石灰」の提案であり、かつての私は「流石は賢治はアイディアマン」とそのセンスに感心したのだが、昨今はどうも抵抗感がある。実直だと思っていた賢治が、それそのものではなくて目先で、印象で注目して貰おうとしていたとも言えるし、そのことをいの一番に提唱していわけだからだ。もう少し説明を付け加えると、石灰についてはまず第一に、
ということを、賢治は知らなかったはずがない。そして第二に、羅須地人協会時代に用いた資料『土壌要務一覧』の中で、賢治は、
 耕土ノ反応ハ中性ヲ望ム。洪積台地ハ、殆ド酸性デアル。…筆者略…尤モ水稲陸稲小麦蕎麦ハ酸性ニモ耐ヘル。………②
と書いているから、賢治は「稲は酸性に耐性がある」と認識していたはずだ。
 となれば、稲作においては「炭酸石灰」施用の必要性はあまりないことになる。一方で、畑作の場合には、そして牧草のアルファルファの場合にはとりわけ必要である。ところが、賢治の「炭酸石灰」の広告は稲作にも効果が大であるという印象を与えるものだ、と私には見えてしまう。
 別な言い方をすれば、論文『宮澤賢治の「稲作と石灰」について』で述べたように、
 羅須地人協会時代までは不羈奔放に生きてきた賢治だったが、炭酸石灰を大々的に宣伝・販売するという商行為に携わるようになってからは売らんが為に、それは社会人であれば誰でも経験することではあると思うのだが、綺麗事だけでは済まなくなったはずだ。ちなみにその一例が、「オールマイティで、いいことずくめの炭酸石灰」の宣伝広告の作成だと私は思う。
ということを、あながち否定できなさそうだ。

 それはさておき、やはり気になることは、この献策の中には私が最近一番知りたがっている、炭酸石灰の施用が貧しい農民に対していかに必要でしかも役立つかという具体的理由も、そして作物に応じた土壌のpHの値についてもここでもまた一言も触れていないことである。

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