みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

花巻に帰宅

2021-03-23 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>


 さて、佐藤竜一氏は、「神田の八幡館にたどり着くや、早速営業にでかけたが、仕事をとれず、そのあげく肺炎になり、倒れてしまったのだ」と断定していた。だが私は、この時の上京・滞京についてはおかしいところがあると思っているし、前回は触れなかったが、他にも9月21日付「遺書」についてもおかしいと思っている。そこで、このことについて佐藤氏はどう見ているのだろうかと期待していたのだがそのことに関する言及はなかった。佐藤氏は一気に「花巻に帰宅」という項に移って、次のように書き出していたからだ。

 東京でのセールスをすることができず、病に倒れた賢治は九月二八日朝、列車で花巻に戻った。
 もはや、セールスどころではなく、そのまま寝込んでしまった。

              <『宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』(佐藤竜一著、集英社新書)159p>
 たしかに『新校本年譜』によれば、


     <『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)より拾い上げた>
となるから、その通りだったのだろう。
 しかしこの一覧表を見ていると、一体賢治は何のためにこの時期に上京したのだろうかという思いが私にはますます募ってしまう。まして、この時に、下掲のような「遺書」

              <『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)口絵より>
を書いたともいう。ちなみにその中身は、 

〔393〕(昭和六年) 年九月二十一日 宮澤政次郎・イチあて 封書
この一生の間どこのどんな子供も受けないやうな厚いご恩をいたゞきながら、いつも我慢でお心に背きたうたうこんなことになりました。今生で万分一もついにお返しできませんでしたご恩はきっと次の生又その次の生でご報じいたしたいとそれのみを念願いたします。
どうかご信仰といふのではなくてもお題目で私をお呼びだしください。そのお題目で絶えずおわび申しあげお答へいたします。
  九月廿一日
                                                       賢治
父上様
母上様

              <『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)379pより>
であったという。

 どうもやはり不自然だ。そしてそもそも、これははたして「遺書」なのだろうか。そうタイトルにそう書いているわけでもない。もう少し慎重に取り扱う必要がありそうだ。そしてもちろん、
    この時の上京は貧しい農民たちのためにだったということではない。
ということはもはやこれで確定的であろう。

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