みちのくの山野草

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「今日の心がまえ」は「滅私奉公」である?

2021-05-05 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 では、今回は谷川徹三の講演「今日の心がまえ」(昭和19年9月20日)のテーマそのものに関わってである。

 ここまでこの講演の記録を読んできてその内容について私が訝ってきたことは、主題「今日の心がまえ」とは直結していない内容ばかりではないかということである。ところがここに至って初めて、講師谷川徹三は、
 私は「今日の心がまえ」という主題から非常に離れたようであります。主題に少しも触れなかったではないか、と思っておいでの方もあるかも知れない。しかし 「雨ニモマケズ」の精神、この精神をもしわれわれが本当に身に附けることができたならば、これに越した今日の心がまえはないと私は思っています。今日の事態は、ともすると人を昂奮させます。しかし昂奮には今日への意味はないのであります。われわれは何か異常なことを一挙にしてなしたい、というような望みに今日ともすると駆られがちであります。しかし今の日本に真に必要なことは、われわれが先ず自分に最も手近な事を誠実に行うことであります。
            〈『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局、昭和45年)31p〉
というように、主題に関することを語っていた。

 ところでこの時期(昭和19年9月20日頃)となれば、もはや太平洋戦争は敗色濃厚になっていた頃だ。そしてそのような状況下において、「今日の心がまえ」としては「雨ニモマケズ」の精神を身に附けるに越したことはない、と谷川徹三は聴衆に訴えたことになる。
 するとこの時思い出すのは、西田良子は次のような主張だ。
 「雨ニモマケズ」の中の「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という<忘己><無我>の精神や「慾ハナク」の言葉は戦時下の「滅私奉公」「欲しがりません勝つまでは」のスローガンと結びつけられて、訓話に利用されたりした。
           〈『宮澤賢治論』(西田良子著、桜楓社)166p〉
 そこで、西田のこの言を借りれば、
 谷川は、戦況が好転する見通しが立たないこの時期、「雨ニモマケズ」の精神を身に附けて、「滅私奉公」「欲しがりません勝つまでは」の精神で国民は耐え忍べと聴衆に訴えた。
と言い換えることもできそうだ。それに、戦時中、谷川は海軍の思想懇談会に参加していたと私は聞いているから、なおさらにそう思ってしまう。

 一方で小倉豊文は、
 各地に「宮沢賢治の会」(地方によって名称異なる)の生まれたのは早くからであるが、詩人・文学者としてよりも第二次世界大戦敗戦までの日本の小学校では必ず「修身」の教材になり…投稿者略…農業・農民の方面から神格化が著しかった。これは賢治が農学校教師であり、農村の技術指導者であったが故ばかりではなく、前述したように当時の日本政府が満州の勢力確保の為に国民の満州移民を強行し、強引に設立した満州国が、「王道立国・五族協和」をスローガンとしていた為に、これら新古・内外の農民の精神的支柱に賢治が利用されたからである。そして、その中心材料が賢治の詩「雨ニモマケズ」であって…投稿者略…。日本においても時局に伴う農村・工場・事業等の強制労働鼓舞の為に、「雨ニモマケズ」が利用されたことが頗る多く、詩集・童話集・伝記的著作の出版も枚挙に暇がなき程だったのである。
             〈『雪渡り 弘前・宮沢賢治研究会誌』(宮城一男編、弘前・宮沢賢治研究会)51p~〉
と断定している。
 実際、「詩集・童話集・伝記的著作の出版も枚挙に暇がなき程だったのである」と小倉が言うように、
(0) 『常磐木』(大政翼賛会文化部編、翼賛図書刊行会、昭和17年3月)
⑴ 『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和17年9月)
⑵ 『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)
⑶ 『宮澤賢治素描』(関登久也著、協栄出版、昭和18年9月)
⑷ 『雨ニモマケズ』(斑目榮二著、富文館、昭和18年11月20日)
⑸ 『宮澤賢治覚覺え書き』(小田邦雄著、弘學社、昭和18年11月30日)
⑹ 『宮澤賢治』(森荘已池著、杜陵書院、昭和19年1月)
と、続々と出版されていった。
 したがって、彼の「日本においても時局に伴う農村・工場・事業等の強制労働鼓舞の為に、「雨ニモマケズ」が利用されたことが頗る多く」という「断定」を私は肯うしかない。しかも小倉は歴史学者であるから、この「断定」は重い。
 そしてこのような時流の中で、昭和19年9月20日に谷川徹三の講演「今日の心がまえ」が行われた。

 よって、「雨ニモマケズ」が戦意昂揚にあちこちで頗る利用されたということはもはや否定できそうにないが、それを実際に推進した一人に谷川徹三がいた、という私は言わざるを得ない。そしてまた、だからあんなに賢治を、とりわけ「雨ニモマケズ」を「この詩を私は、明治以来の日本人の作った凡ゆる詩の中で、最高の詩であると思っています」とか「その精神の高さに於いて、これに比べ得る詩を私は知らないのであります」と褒めちぎっていたのかと、私は穿った見方までしてしまいそうだ。
 そしてまた、そのような「推進」を谷川が結果的にしてしまったのは、
というように、賢治は実践者だったと谷川が誤解していたことが一因だったのではなかろうか、と私はふと考えてしまった。なぜならば、私がここまで賢治の稲作等に関わる実践を検証し続けてきた結果は、巷間いわれてるほどのことは残念ながらあまり為していないかったからである。

 畢竟するに、
 敗色濃厚な昭和19年9月20日、実質的には、谷川徹三は「今日の心がまえ」は「滅私奉公」であり、「欲しがりませんかつまでは」であると、「雨ニモマケズ」を利用しながら国民に語った。
ということになりそうだ。それは、谷川は賢治の実践を知悉していたわけではなかったからだ。
 
 なお、谷川はこの講演を「最後にもう一度「雨ニモマケズ」を朗読して、この話を終わりたいと存じます」と締め括って、実際に朗読して講演を終えた(『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局、昭和45年)39p)という。

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