〈『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)〉
本日からは、〝論文『宮澤賢治の「稲作と石灰」について』〟に関する関連資料の投稿を開始したい。
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かつての私は、「東北砕石工場技師時代」に関しては、例えば真壁仁が
宮沢さんは昭和六年四月東北砕石工場の技師になられました。そして炭酸石灰の製法改良とその販売斡旋のために奔走されて居ります。…(投稿者略)…この仕事は故人の生涯中最も立派なものの一つであります。酸えたる土を改めるためにそそぐものをつくる事を宮沢さんは久しきに亘って思いつづけられたことでしょう。…(投稿者略)…
酸性土壌を中和するために、一般に用いられている消石灰より炭酸石灰がどれくらい勝っているか、まだ農民は本当に知らないでしょう。
〈『修羅の渚』(真壁仁著、法政大学出版局)13p~〉酸性土壌を中和するために、一般に用いられている消石灰より炭酸石灰がどれくらい勝っているか、まだ農民は本当に知らないでしょう。
と言う通りだろうと思っていた。それは、真壁は「農民詩人」であったと言われているからなおさらにである。
ところが私は、稲の最適土壌は実は中性でないという事をその後知ってしまった。実は、
稲の最適土壌は、微~弱酸性(pH5.5~6.5)で、しかも広い領域で生育する。
だったのである。となれば、真壁の「昭和六年四月東北砕石工場の技師になられました。そして炭酸石灰の製法改良とその販売斡旋のために奔走されて居ります」というこの断定、延いては「東北砕石工場技師時代」については、どうやら再考が必要となったのだと覚った。
何となれば、賢治は稲の最適土壌はやはり中性と認識していて、それが微~弱酸性であったということを実は知らなかったのではなかろうか、などという不安が私に生じたからだ。一方で、賢治研究家も含めて多くの方々は稲の最適土壌は中性であり、賢治は酸性土壌を中性化するために石灰の施用を熱心に勧め廻ったのだと解釈しているのではなかろうか、と私には思えるからだ。そして、実はそうとも言い切れないんですよ、ということを私は訴えたいからだ。
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なお、目次は次の通り。
〝「宮澤賢治と髙瀨露」出版〟(2020年12月28日付『盛岡タイムス』)
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