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昭和6年の花巻地方「稲作は平年作以下?」

2021-03-09 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 では今度は『あるサラリーマンの生と死』の中の項「悲惨な農村の実態」についてである。
 そこにはこんなことが述べられていた。
 なお、一九三一(昭和六)年の農村は悲惨な状態にあった。前年が歴史的な豊作で、それに加え、植民地だった朝鮮から大量の米が輸入された結果、米価が急落したことが原因である。
              〈『あるサラリーマンの生と死』(佐藤竜一著、集英社新書)125p~〉
 そこで、『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)を見てみると、当時の「岩手県水稲反収推移」は下表のようになっていて、

それをグラフにしてみると下図のようになる。

 よってこの『都道府県農業基礎統計』に従えば、賢治は明治29年生まれで昭和8年没だが、そのうちの殆ど、大正3年~昭和8年の岩手の米の反収は2石前後であることがわかる。そして、昭和5年の反収は2.02石だから、「前年が歴史的な豊作」、つまり「昭和5年が歴史的な豊作」とまでは言えないような気がする。強いて言えば、賢治没年の昭和8年の場合はそうかも知れないが。一方で、昭和6年の反収は1.66石であり、作柄は「不良」だった
 そして、昭和6年7月10日付『岩手日報』に次のような記事があり、

 本年稲作は平年作以下か 宮澤元花農教諭予想を発表 花巻地方の分蘖状況
花巻豊沢町元花巻農学校教諭宮澤賢治氏は、農事の実際的研究家として知られてゐるが宮澤氏は過去数年間にわたり、七月初旬の花巻地方における水稲の分蘖状態に就いて仔細な研究をつゞけてゐる、宮澤氏は七日水稲の生育分蘖に就て左の如く発表した
七月初旬における花巻地方の稲作は六本乃至十本の分蘖を見たが例年十本乃至十七八本に比較するとき非常な相違で発育も不良でありこゝ一週間以後にはこの倍の十二本乃至二十本まで分蘖するが、例年より分蘖の程度が少なく、若し、七月二十日以後にこれ以上分蘖した所でそれは出穂結実の可能性はなく早くも平年作以下の減収と観測してゐる、殊に昨今の朝夕の冷気が稲作以上頗る有害である
というわけで、賢治は実際の稲の発育状況から分析的に考察して、
    昭和6年の花巻地方の米の作柄を「平年作以下の減収」を予測していた。
のだった。そしてこの年、岩手県の稲作は冷害に襲われたということは周知のとおりである。
 
 そこで殆どの賢治研究家はなおさらに、昭和6年の花巻地方も冷害によって稲作は不良だったと、あるいは凶作だったと認識しているようだ。ところが、実はそうではない。昭和6年の場合、たしかに岩手県全体では「不良」だったが稗貫郡ではそうではなかったからだ(どういう訳で、稗貫郡は平年作であったことが案外知られていないのだろうか)。
 ちなみに、昭和4年~6年の稗貫郡等の米の実収高を見てみよう。それは下図表のようになる。

 たしかに、
   昭和6年の岩手県の米実収高=1.66石/反
だからかなり作柄が悪い。
 のみならず、『岩手県農業史』(岩手県、森嘉兵監修)の841pには、
 昭和6年 災害現象
 早春雪が異常に多く4月以降気候不順で冷夏、多雨が続き凶作となる。米収穫高98万9,000石で平年より8%の減収となる。
とあり、しかも、『岩手県気象年報 昭和4年、5年、6年』(盛岡測候所編)中の『花巻観測所』のデータによれば、 

となるので、たしかに昭和6年は花巻でも冷夏・多雨の傾向が顕著だから、そのことを私は少しも疑わずにいた。
 ところが、この上掲の「米実収高」の図表から明らかなように、それは全くの勘違いであった。なんと、
   昭和6年の稗貫の米の実収高=1.82石/反
で、もっと精確には1.823石/反であり、「T14~S9平均」(大正14年~昭和9年の間の岩手県の平均米実収高)1.827反/石と比べて、
   1.823/1.827=0.998≒1.00
だから、大雑把に言えば平年作と言えそうなので、
 昭和6年の稗貫の稲作は冷害でも何でもなかった。同年の稗貫の実収高は当時の稗貫の年平均1.781石/反を上回っているし、当時の岩手県の年平均とほぼ同じだから、〝平年作〟と言ってもいいだろう。もちろん、花巻地方は稗貫郡だから、昭和6年花巻地方は冷害などではなくほぼ平年作であった。
と言えるだろう。
 なお、これでも疑問に思われる方は、以前の投稿〝『岩手県災異年表』(昭和13年)より〟をご覧頂きたい。そうしてもらえば、
 大冷害だったと思われている昭和6年の岩手県はたしかに冷害だったのだが、少なくとも昭和6年の稗貫郡はそうではなくて、米の作柄は平年作よりも良かった。
ということを納得して頂けるはずだ。それでも納得できない方は、〝「「岩手県災異年表」の周辺」(伊藤信吉)より〟をご覧頂きたい。
 前後五カ年平均反当収量に対して大正十五年マイナス一斗五升、昭和四年マイナス一斗七升、同六年プラス四升、同九年マイナス七斗九升となっている。ここで目立つのは昭和六年のプラス四升で、この年は岩手県下の他の十三市郡ことごとくマイナスなのに、稗貫だけがプラス四升ということだったのである
とあるからだ。

 一方で、佐藤氏の主張である「前年が歴史的な豊作で、それに加え、植民地だった朝鮮から大量の米が輸入された結果、米価が急落したことが原因で」「農村は悲惨な状態にあった」はその通りであり、それは、かつての投稿〝1344 昭和5~6年不況と凶作〟とも一致する。

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