みちのくの山野草

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『宮澤賢治研究2』(農民芸術社、戦後版、昭和23年10月)

2021-05-24 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 では今度は『宮澤賢治研究2』(農民芸術社、戦後版、昭和23年10月)からであるが、この冊子も『宮澤賢治研究1』同様それは薄い冊子なので、東北砕石工場技師時代の賢治に関しても、石灰の施用に関しても一切言及がないことが直ぐ判る。

 一方で、戦時下の賢治、とりわけ「雨ニモマケズ」が戦意昂揚のために利用されたということはもはや疑いようがないので、賢治が多くの人々に知られていたということは自ずから導かれるだろうが、この戦後版の『宮澤賢治研究2』によって教わったことは、敗戦後も少なからぬ人々から賢治は熱烈に愛され、慕われていたということだ。このことについては、先の『宮澤賢治研究1』に所収されていた植木克己の「花巻え(ママ)の旅」を見てうすうす感じていたところだったのだが、そのことをこの『宮澤賢治研究2』で確信した。
 というのは、まず寄稿「花巻え(ママ)の旅」を読んでみたならば、
 私は二十年に賢治についてもつと知りたいと思つて書籍を探したが一向手に入らないので、賢治素描の著者の關さんに御無理を云つたらと思ひ、お願いしたところ宮沢賢治研究四、五、六の三冊を送って下さつた。
とか、
 二十三年の正月は東海道線の汽車の中だつた。幾度か計畫しては破れた花巻への旅が實現したのだ。
             〈ともに『宮澤賢治研究2』14p〉
というようなことなどを著者の植木は書いていたからだ。この「二十年」とはもちろん敗戦時の昭和20年のことだろう。そして、植木は敗戦直後の23年の正月にわざわざ東海道線を乗り継いで花巻までの長旅(植木はこの寄稿の末尾に書いているのだが、一週間の長旅だった)をして来たことになるのだから、賢治に対する彼の熱い想いは容易に推し測れる。
 そして植木は、
 たとへ名もなき一人として、すべての惱みを新(ママ)とし、新しき世界を創るべくいそしもうの感を深くした。本當に一人でも多くの人に賢治を(ママ)の本當の精神を知つてもらいたいことは、私達の念願である。
             〈ともに『宮澤賢治研究1』16p〉
と締め括っていた。そこで私は思った、植木は敗戦によって生じた心の裡の大きな隙間を賢治で埋めようとしたのではなかろうか、と。
 そしてこのような想いを抱いていたの植木だけではなかったようだということを、『宮澤賢治研究2』の特に「イーハトーヴォ通信」を読んで確信した。そこには、全国から寄せられた手紙が載せられていて、賢治に心酔しているものやその作品を激賞するものばかりだったからだ。そして、県内の会合や、秋田・福生・栃木・岡山・東京・高山・金沢などからの報告についても同様であったからだ。
 さらに、目次の最後には「賢治先生に捧ぐ 佐々木啓隆」が載っていて、それは
   〝賢治先生に捧ぐ〟
      菩 提  佐々木啓隆
 それは、づつと以前です。
 あなたが読んで驚かれ
 それからあなたに
 最上の
 菩提の心を起こさせ
 然もあなたを、あの
 無上道の菩薩の道を
 浄く雄々しく進ませた、彼の
 大乗の「法華経」を。

 然もづつとあの時以来。
 如来の大慈で
 あなたから
 受けついだ――私も――
 あなたのそれと変化なく
 浄い心で読みました。
 そうして、  又々
 あなたのそれと変化なく
 あなたの浄道を
 今、私もゆかうとするのです。(一九四八、六、一六)
というものだった。
 どうやら、敗戦直後の賢治はある人にとっては救いだったのかもしれない<*1>。

<*1:投稿者註> とはいえ、賢治の行蔵などについてよく知っていたから佐々木は「救い」として求めたというよりは、もしかするとすがりたかったからだったということだったのかもしれない。なぜならば、賢治自身は「菩薩になりたい」と願ったことはあったかもしれないが、賢治を「菩薩」に位置づけることのできる客観的な根拠を私は今のところ見出せないでいるからだ。

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