みちのくの山野草

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裏付けもなく、検証することもなしに

2021-05-07 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 そもそもは、谷川徹三の講演「今日の心がまえ」(昭和19年9月20日)の中で、東北砕石工場技師時代の賢治や石灰に関してどのような言及がなされたのかを私は知りたかったのだが、残念ながらそれらは見つけられなかった。しかも大分横道に逸れてしまったから、この講演に関する投稿はそろそろ終えたい。ただし、谷川著『宮沢賢治の世界』の中には「もろともにかがやく宇宙の微塵となりて」という講演(昭和23年12月10日)の記録も所収されていたのでそのことに関して少しだけ述べてからにしたい。
 というのは、
 結局石灰並びに石灰の見本を携えて上京の車中に発熱、神田の宿に病臥するに至り、その後花巻に帰りはしましたけれども、その病臥が遂に死の床にまで続いたのであります。東北砕石工場の技師として聘せられたのが昭和六年四月、車中に発熱病臥したのがその年の九月、爾来一進一退の病状の中に昭和八年九月二十一日彼は永眠したのであります。
 東北地方の酸性土に対する炭酸石灰の効果については、賢治はその専門知識の上から固くこれを信じ、それの普及のための宣伝、販売、斡旋には、独り岩手県下ばかりでなく、秋田、宮城、福島、東京等を廻っているのでありまして、その仕事の過労がその死の一原因になったことについては、賢治はむしろ満足を感じていたでありましょう。賢治の心が常に農民たちの上にあったからであります。
             〈『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局、昭和45年)47p〉
というように、谷川は東北砕石工場のことや石灰のことについて少し述べていたからである。とは雖も、これまで投稿してきたこと以外の目新しいことを谷川は語っていたわけでもないから、これ以上のことを深掘りするつもりはない。

 それよりは、谷川は「賢治の心が常に農民たちの上にあったからであります」とまた断定していたことがやはり気になった。それはその根拠も示さずに断定していたからだ。このことについては今まで何度か私は指摘しきたところだが、谷川は裏付けもなく、検証することもなしに安易に断定している傾向がある人なんだなということを、先の講演「今日の心がまえ」およびこの講演「もろともにかがやく宇宙の微塵となりて」の記録を読んでみて、誠に申し訳ないのだが、私はあらためて確信してしまった。

 さりながら、「裏付けもなく、検証することもなしに」であることは何も谷川に限ったことではない。少なからぬ賢治研究家がそうだと言えるのではなかろうか。私が知る限りでは、「裏付けをしっかり取ったり、検証も確実にやっったりしている」賢治研究家は天沢 退二郎や入沢康夫、上田哲そして地元の菊池忠二の方々が主だからである。

 以上で、谷川に関する投稿は終えたい。

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