みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)

2021-04-19 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 では今回は『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)からである。

 この本は少年向けの伝記であり、まずは通読してみると、その中の節「十九 あらたなる よきみちを」において、宮澤家への鈴木東藏の訪問から始まる東北砕石工場技師時代のことが、
 (昭和六年のこと宮澤賢治は)六月になつて、体に自信が出ますと、またもはたらきだしました。
 石灰岩は、炭酸石灰という肥料になるのです。炭酸石灰は、いけなくなつてお米のよくとれない田にやりますと、また生きかへつたやうになるといふ、ありがたい肥料です。…投稿者略…
 つかれていけなくなつた土地を酸性土壌といふのですが、宮澤先生は、その酸性の土地を生き生きとよみがへらせなければいけない、それにはアルカリ性の炭酸石灰がいちばんやすくて、手に入りやすいといふことを、ずつと前から知つてゐて、調べてゐたのでした。
 …投稿者略…岩手縣はもちろんのこと、東北地方から東京の方まで、せんでんして歩きました。一年に八百車しか工場でつくれないのに、その二倍、千六百車も注文とつたといふことです。
             〈『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)226p~〉
というように結構詳しく紹介されていた。私の知る限り、この本が出版された昭和18年1月以前に、これほど詳しく書かれた子ども向けの著書等はないはずだ。そして、この本を読んだ少年たちの多くは、東北砕石工場技師時代の賢治は農民のために東奔西走したと受けとめることになったであろう。

 とはいえ、先に「この頃(昭和15年頃)になると、松田甚次郎、真壁仁、そして森荘已池などが、東北砕石工場技師時代の賢治や、石灰に関して言及し始めていた」ということを私は知ったわけだが、今回も森荘已池の著作だから、前回の「取り敢えずの結論」は一部変更されて、
 この頃(昭和18年1月頃)になっても、東北砕石工場技師時代の賢治や、石灰に関して言及していたのは主に松田甚次郎、真壁仁、そして特に森荘已池であった。
とせねばならないようだ。

 続きへ
前へ 
 〝賢治の「稲作と石灰」〟の目次へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

***************************『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)の販売案内*************************
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
           〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
                      電話 0198-24-9813
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 緒ヶ瀬滝(4/12、残り) | トップ | 台温泉(4/12、スミレ) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢治の「稲作と石灰」」カテゴリの最新記事