みちのくの山野草

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現通説「昭和6年の上京の際」の信憑性

2021-02-19 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
〈『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)〉

 となれば、昭和6年の上京の際については、
 その夜賢治が泊まった旅館では隣が遅くまで騒いでいたので仮眠もできず、汽車に乗ってから眠りこけ、寒いと思って目をさました。座席の向こうに乗った人が窓を開けたまま降りたからだった。
などと巷間言われているが、はたしてこの通説もどこまで真実を語っているのだろうかと私は不安になってくる。

 ならばそもそもこの現通説の出所はどこだろうか。そこでまずは、おそらくこれが最初に編まれたものと思われる草野心平編『宮澤賢治研究』(昭和14年)所収の「宮澤賢治年譜」を見てみよう。そこにはこの時の上京については次のように書かれていた。
昭和六年
△ 九月十九日、炭酸石灰、石灰岩製品見本を携行、本復に至らざる身を無理に上京し、再び發熱し、神田の八番館に病臥す。東京に於いて死す覺悟にて、菊池武雄氏と種々談合せるも、父の嚴命により歸の省す。
なお、『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和17年)や十字屋書店版『宮澤賢治全集別巻』(昭和18年)所収のものも全く同一記載内容である。また、『昭和文学全集14 宮澤賢治集』(角川書店、昭和28年)の場合には、
九月十九日、仙臺を経て上京、二十日着京と共に發熱、病臥。父の嚴命により二十八日歸宅、再び病床生活に入る。
と、『宮澤賢治全集十一』(筑摩書房、昭和32年)の場合には、
九月、炭酸石灰とその製品見本を持って上京し、神田區の八番館にて病臥、數日後歸宅そて再び病床生活に入った。
となっていたから、これらの年譜がその出所とは思えない。

 一方、多分これがその時の事情をやや詳しく書いている最初の論考だと思うのだが、「昭和六年七月七日の日記」の中に、
 こういうことをして、そつちこつちまわつて歩いているうちに、九月十九日炭酸石灰や石灰岩製品の何貫目もある見本を持つて上京した。その前コンクリート屋を呼んで化粧レンガなども作つた。
母は、
「重いものは持たないで、赤帽に持たせるんだんちや。」
 といったが、虫が知らせるのか、とめたくてしようがなかつた。いよいよ家を出るとき、行かないでくれるようにと口に出していうとお父さんにきこえて𠮟られるので、母は店の片かげにかくれるようにして、そしておがむやうに手を合わせてあたまをさげ、「行かないでくれ、やめてくれ」といつた。
 それでも賢治は無理に出ていつた。
 途中秋田により仙台に出て、一泊したとき、午後二時ごろまで飲んで騒いでいた連中があつて眠れず、四時仙台發の列車に乗つた。ぐすつりと眠つていると、何だか耳が寒いと思つて目がさめた。するとあたまも痛いのに氣がついた。向こうに乗つた人が、汽車の窓をあけたまま降りてしまつて、風が吹き込んでいたのであつた。東京につくと一緒にひどく高熱を出して、駿河台の八幡館という旅館で寝こんでしまつたのであつた。
             <『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房、昭和24年)110p~>
と書かれてある。そして、この後半の記述部分が出京時の現通説と符合していることがわかるから、おそらくこれが巷間言われている現通説の出所であろう。つまり、
 母は、「重いものは持たないで、赤帽に持たせるんだんちや。」といったが、…投稿者略…「行かないでくれ、やめてくれ」といつた。
に引き続く一文がこの通説の出所となっていたであろうことが窺える。
 すると思い出されるのが、先の佐藤通雅氏の「なかなか臨場感のある描写だが……事実というわけにはいかない」という指摘である。それは、例の「ライスカレー事件」に関しても同氏は、「臨場感がある……しかしいうまでもなく、両方に臨場することは不可能だ。…(投稿者略)…見聞や想像を駆使してつくりあげた創作であることは、すぐにもわかるという指摘(私も佐藤氏の指摘どおりであるということを実証できている)と同様にである。よって、前掲の現通説も信憑性が危うい。実際、ここには「途中秋田により」と記されているのだが、こんなことは巷間全く言われていないはずだからなおさらに私の懸念は増してしまう。まさに、「なかなか臨場感のある描写だが……事実というわけにはいかない」と。

 というわけで、
 巷間云われている昭和6年9月19日の出京の際の現通説は事実を伝えているという確たる保証があるわけではない。
と言わざるを得ず、このことに関する現通説の信憑性は少なからず危ういものである。と同時に、
 賢治は昭和6年9月19日に出京を急いだ最大の理由は壁材料の宣伝のためではなくて、その他に大きな理由があった可能性が少なくない。
ということも導かれてしまいそうだ。

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