みちのくの山野草

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『農民藝術 No.1』(農民藝術社、昭和21年5月)

2021-05-13 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 では今度は『農民芸術 No.1』(農民芸術社)からである。
 まずは、私が所蔵している『農民芸術 No.1』(農民芸術社、昭和21年5月30日発行)は大分汚れているが、古書店で入手した下掲の右側のようなものである。

 敗戦記念日が昭和20年8月15日だから、それから10ヶ月も経たないうちに出版されていたことになる。なお、その左側は昭和62年に「図書刊行会」によって復刻されたものである。
 そして同書の
【目次】は
となっている。寄稿者には錚々たる人物としては高村光太郎が目立つが、かつての『宮澤賢治研究』(草野心平編、昭和14年9月)の場合の錚々たる寄稿者、中島健蔵、水野葉舟、真壁仁、永瀬清子、草野心平、谷川徹三、古谷綱武、尾崎喜八、横山利一、中原中也、佐藤惣之助、高橋新吉等の名前は見えない。
 そして次の頁には次のような「生まれて來たわけ」

 私達は、一人一人幸福にならなければならない。そして日本も、世界全體も、みんな幸福にならなければならない。本當の幸福は、一人一人の深い自覺から生まれて來る。そこには爭ひや、虛僞や、陥穽がなく、宇宙の意志の儘に、一人一人が、眞實の中に樂しめるものでなければならない。その樂土から、正しい、一切の生産が生まれ、その生産がまた、人々を樂しませ、その生産の中に、一切の美も、眞も、含まれて、いやが上にも、人の世界がいい方向に上昇してゆく樣にならなければならない。もうお互ひはつまらぬ理屈はよして、宇宙が吾らの耳に私語くかの清淨な聲を聞き、飽くまでも自らは謙虛になつて、本當にいい仕事の一翼を擔はなければならない。季刊「農民藝術」は、さういふ意圖の下に生まれて来たのだが………。
が載っていた。
 するとここで思い付くのは、あの「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というフレーズだ。実際、私が手に入れた古書の1頁目に載っている「農民藝術槪論」の「序論」

の、断章
    世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
には波線の傍線が引いてあるから、かつてのこの本の持ち主に私はシンパシーを感じた。

 一方で、このフレーズにはどうも「全体主義」の臭いがして私には抵抗感があるのだが、それが敗戦を境にして、かくの如く「一人一人」という言葉が多用されていることからは、このフレーズは真逆の「民主主義」の申し子にさせられようとしたのかなと、私はついつい訝ったりしてしまった。それは、下掲のように、

             〈『農民芸術 No.1』(農民芸術社)62p~63p〉

             〈同66p~67p〉
東 光敬の「流謫者」というタイトルの随想もこの本には寄せられていたことからもなおさらにそう思ったのだった。
 もう少し説明を付け加えると、「流謫」と言えば、直ぐに思い出すのは高村光太郎の例の「自己流謫」<*1>であり、しかも、光太郎が「獨居自炊」したあの粗末な大田村山口の小屋や、《いり巻であとぢの前に立つ冬籠の光太郎》の写真を見ればたしかに自己流謫だったであろうことが納得できる。

 さりとて、賢治や「雨ニモマケズ」が戦意昂揚に利用されたとしても、それを流謫することは賢治にはできない。もう既に鬼籍に入っていたからだ。ということは、東 光敬は賢治に成り代わって流謫されようとしたのだろうか。
 と思ったのだが、東は
 『雁の童子』のごとく宮澤賢治もまた天よりの「流謫者」であつたといふことが出來ないのであらうか。
             〈同64p〉
とか、あるいは、
 『農民藝術概論』にあらはれたこれらの言葉も、流謫者としての、菩薩としての位置から究めてこそはじめて理解されるのではなからうか。
             〈同67p〉
などと述べていて、賢治が流謫者であったということを東は実証していたわけではなく、まさに目次にあるタイトル「随想流謫者」のとおりで、随想にすぎなかった。つまり、東の単なる個人的な「想い」を書いたものだったのだ。

 さて、では当初の目的である、この本の中には東北砕石工場技師時代の賢治や石灰に関してどんなことが言及されていたのかを知ることだが、残念ながらそのようことについての言及は見つけられなかった。

<*1:投稿者註> 小林節夫は光太郎の例の「自己流謫」に関して、
 光太郎は…投稿者略…戦争を賛美し、国民を戦争に駆り立てる詩を山ほど書いたという自責と負い目から「わが詩をよみて人死に就きにけり」という詩を書きました。
      「わが詩をよみて人死に就きにけり」
     爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
     電線に女の大腿がぶらさがった。
     死はいつでもそこにあった。
     死の恐怖から私自身を救ふために
     「必死の時」を必死になって私は書いた。
     その詩を戦地の同胞がよんだ。
     人はそれをよんで死に立ち向かった。
     その詩を毎日よみかえすと家郷へ書き送った
     潜航艇の艇長はやがて艇と共に死んだ。
と恥じて、太田村の山林の中の小屋に7年もの間、自分を流謫の刑を課したのでした。
             〈『農への銀河鉄道』(小林節夫著、本の泉社)250p~〉
と述べている。なるほど「自分を流謫の刑を課した」から「自己流謫」となるわけだ。

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