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谷川徹三の講演(賢者の文学)

2021-05-03 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 では今回も、谷川徹三の講演「今日の心がまえ」(昭和19年9月20日)からである。この講演では、あの「賢者の文学」についても語られていた。例えば、
 第二には、宮沢賢治の文学が賢者の文学としての性格を顕著に持っておる点であります。賢者の文学という言い方は、これは私の言い方であって、まだ一般に承認されておる言い方ではありませんが、明治以後の日本の文学の主流はどういうところにあったかというと、これは明治以後の日本の文学の中心が小説にあったという事実と切り離せないのでありますけれども、常人以上に煩悩の虜となり、常人以上に過ちを犯し、常任以上に弱い人間、つまり生活者としての資格に欠けている人間の文学でありました。そういう人達の文学も勿論大きな意味をもっている。それは人間の弱さを描くことによって、誰の中にもある最も人間的なものを、謂わば拡大鏡にかける。そしてそれによってわれわれを神に面せしめる。そういう意味をもっております。…投稿者略…そしてそれは、一つ読み方を誤れば直ちに悪徳の文学となるような性質をもっておりました。
            〈『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局、昭和45年)24p〉
とである。
 となれば、谷川の「賢者の文学」の定義はそもそも如何なるものなのであろうか。ここまでの段階では、「外延的」定義はなされているものの内包的定義はなされてない。「読み方を誤れば直ちに悪徳の文学となるような」ということであればなおさらに、谷川のその内包的定義を早く知りたいので、まずは読み進めよう。すると、
 明治以後の新文学は、常人以上に煩悩の虜となっている人達の文学であり、生活者としての資格に欠けている人達の文学であり、一歩読み方を誤れば直ちに悪徳の文学となるような、そういう性質のものであったのであります。そういう文学に対して、生活者の文学というべきものがなかったわけではありません。…投稿者略…例えば、武者小路実篤の文学であります。武者小路実篤の文学の中には、はっきり賢者の文学の面影を見ることができる。
            〈同25p〉
とまた似たようなことを谷川は繰り返していた。
 ということは、この「生活者としての資格に欠けている人達の文学」は少なくとも「賢者の文学」たり得ないと谷川は強調したいのだろう。が、彼は「賢者の文学」をズバリと定義はまだしてくれない。おそらくそれは、「生活者の文学」に似たものだということは私にも推測できるのだが……。とはいえ、賢治がはたして「生活者」だったかというと、賢治が自分が働いて稼いだお金で自分の生計を立てていた期間が如何程あったのかというと、賢治の一生には殆どなかったということは承知の通りで、私は悩んでしまう。
 その一方で、武者小路実篤の文学であればそれに近いと谷川は語っているわけだが、それは私にも何となくわからないでもないのだが、「はっきり賢者の文学の面影を見ることができる」と谷川に言われても、「見ることができる」のは谷川にであり、しかもそれが「面影」であればもはや、谷川以外の人間に「はっきり賢者の文学」が見えるはずがないのではなかろうか。さらに谷川は、こんなことも語ったという。
 ただ、それは生活者としては健康であると共に、常に道を求めて止まない人(太字部分は、出典に於いては傍点が付いている部分である)でなければならない。そしてその意味における賢者の文学を武者小路さんの文学の中に私は見出すことができると思う。
            〈同〉
 ということであれば、単純に「生活者の文学」というわけではなくて、このような条件が必要だったとしても、
 論理的には、
    健康で、なおかつ常に道を求めて止まない生活者の文学であることが、「賢者の文学」の必要条件である。
と谷川は実質的に言っている。
と私は解釈せざるを得ない。その一方で、私は不満を抱く。それは、谷川が「中に私は見出すことができると思う」という言い方をしていることにである。断定しているわけではなく、あくまでも「思う」のレベルで語っているわけだから、私は肩すかしを食らってしまう。
 さらに谷川は、
 その性質を武者小路さんの場合ともちがった非常に独創的な形で備えてるのが、宮沢賢治の文学であります。それは決して堅苦しい文学ではない。それどころか奔放な空想と明るいユーモアとに満ちている文学です。
            〈同26p〉
とも語っていた。なお、この「その性質」とは、先の「健康で、なおかつ常に道を求めて止まない生活者の文学であること」を指していると私には解釈できた。また、谷川は、
 武者小路さんの文学を賢者の文学としているその大きな理由は、武者小路さんが「新しい村」をつくろうとした、あの生活者としての情熱にあるのであります。…投稿者略…むしろ夢想が発条になっている。しかしとにかく実践した。その実践に意味があるのであります。その実践を、宮沢賢治は自分の生まれた地方の農民達の友として(太字部分は、出典に於いては傍点が付いている部分である)したのであります。
            〈同27p~〉
とも言う。だが、谷川は未だ「賢者の文学」を内容的に定義していないが、次第にその大体のイメージは私にも掴めてきた。そこで逆に、今度は「宮沢賢治は自分の生まれた地方の農民達の友としてした」という谷川の断定が気になってしまう。たしかに賢治がそれらしきことをしなかったわけではないが、それは期間的にも内容の深さにおいてもそれほどのことはなされていなかったはずだからだ。その実態は、例えば〝昭和10年代半ば頃のある賢治評(中編)〟等で主張したように、羅須地人協会時代においては、
 (賢治は素晴らしい詩人であり童話作家であるが)羅須地人協会で賢治が実際にやったことは、それほどのことでもなかった。
からだ。また東北砕石工場技師時代も似たり寄ったりで、いずれもその期間は短かかったから、おのずから継続性も深度もそれほどではなかった、といわざるを得ない。そこで、現時点ではまだ谷川の言う「賢者の文学」の内包的定義は出てきていないこともあり、現段階では、賢治の文学は「賢者の文学」であった、というところまでは私は肯うことができずにいる。

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