みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

自惚れる時も謙遜する時も

2021-04-27 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 宮澤貫一は賢治に関してこんなこと、
 「木の霊が話して居るぢやい。」と言はれたものである。
自分には先生が普通の人の感覚をはるかに超えた異常なもに見えた。
も証言していて、それに対して小田はこう註を付記していた。
 
一 交霊といふ心理上の現象をよく聴くのであるが、さういふ意味の是非についていふより、宮澤賢治といふ詩人の感覚がそれを超えた異常なものであるということである。
             〈共に『宮澤賢治覚覺え書き』(小田邦雄著、弘學社)134p~〉
 そういえば、こんなことを賢治は言っていたということを私もかつて何かで読んだ気がするが、少なくとも教え子の宮澤貫一がこのようなことを証言していたということをここで確認し、留意しておきたい。
 
 はたまた、宮澤貫一はこんなことも証言し、それに対して小田は続けて註を付記していた。
「私の詩が解らないと云ふ人が有るが、私はそんなに難しいものなんか書いて居ないのだ。
 あんまりさう云ふのなら何時か私の詩の解説書を書かなきやならないね。」
「詩には自信がある。皆わからないと云ふがいつかきつと解るやうになるんだ。」
詩には自信があるといふことは常々言つて居られ、また私達もそれをよく聞いたものである。


 チエホフの三百行を三行で書き得ると宮澤賢治が自信をもつて云はれてゐたといふことである。
             〈同136p~〉

 この賢治の「自信」に関しては、賢治が草野心平に対して、
    私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたいと思います。
と言ったということだから、賢治は自分の詩については、謙遜する時もあれば、自信家である時もあったということになる。まあこれは、人間ならば当たり前のことではあろうが、賢治と雖も自惚れる時もあれば謙遜する時もあるということで、私は妙に親近が湧いてくる。ただし、このような自信など未だかつて持ったことは私にはもちろん一度もないのだが。

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