みちのくの山野草

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変わっていった賢治の稲作における施肥法

2021-02-02 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
〈『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)〉

 さらに【第二版】)を読み進めてゆくと、こんな最も注目すべきことの一つが見つかった。
炭酸石灰の特に有効な施肥法
 …(投稿者略)…
三、稲作で金肥代をできる丈節約するにはどうしても炭酸石灰に由つて土に働いて貰わねばなりません。一例を挙げますと、
 厩肥二百貫(三百貫なら尚結構)
 硫安一貫(人糞尿二荷半)過燐酸五貫
炭酸石灰二十貫乃至三十貫ですが、どうも紙の上で思い切つた事が申し上げられませんので甚だくすぐつたい感がいたします。………①
              〈『新校本 宮沢賢治全集〈第14巻〉雑纂 校異篇』176p〉
 私はこの記述を知って喜んだ。そもそも、東北砕石工場技師時代の賢治の周辺をこのシリーズでなぜ私があちこち彷徨っているのかというと、それは、当時の賢治は貧しい多くの農家のために如何なる実践したのかということを知りたいからだ。そこでこの施肥法〝①〟が有効であるのであれば、まさにこの施肥法を当時の貧しかった小作農や自小作農に賢治は奨めればよかったんだよと、その答の一端を私は垣間見た気がしたのだった。

 ところで、私は以前〝賢治の稲作指導法とは〟で論じたように、「羅須地人協会時代」の賢治の稲作指導法については、
 賢治の稲作指導法は、食味もよく冷害にも稲熱病にも強いといわれて普及し始めていた陸羽132号を、ただし同品種は金肥に対応して開発された品種だったからそれには金肥が欠かせないので肥料設計までしてやるというものであった。
ということを実証した(つもりだ)。だから、おのずから、
 お金がなければ購入できない金肥を必要とするこの農法は、当時農家の大半を占めていた貧しい小作農や自小作農にとってはもともとふさわしいものではなかったということでもある。
ということになり、
 「羅須地人協会時代」の賢治の稲作指導法には始めから限界があり、当時の大半を占めた貧しい農民たちにとってはふさわしいものではなかったので、彼等のために献身できたとは言えない。
ということをそろそろ私は受け容れるべきなのかなと思い始めていたところである。
 だから逆に言えば、「羅須地人協会時代」の賢治は上掲の「炭酸石灰の特に有効な施肥法」の「三、」のような、石灰岩抹(いわゆる炭酸石灰)を取り入れた施肥法は採用していなかったということになりそうだ<*1>。そしてそのことを、この「甚だくすぐつたい感がいたします」という突如出てきた違和感のある表現がいみじくも示唆しているのかなと私は直感したのだった。

 ところがさらに知った、これが【第三版】になると、当該部分は次のように変わっていたことをだ。
炭酸石灰の特に有効な施肥法
 …(投稿者略)…
三、稲作で金肥代をできる丈節約するにはどうしても炭酸石灰に由つて土に働いて貰わねばなりません。一例を挙げますと、
 厩肥二百貫(三百貫なら尚結構)
 硫安一貫(人糞尿二荷半)過燐酸五貫
炭酸石灰二十貫乃至三十貫ですが、どうも紙の上で思い切つた事が申し上げられませんので甚だくすぐつたい感がいたします。

土壌中の窒素を利用しなければなりません。すなはち厩肥、緑肥、堆肥はできるだけお使になつて、それに硫安二貫五百位まで、(又は人糞尿の七八荷まで、)過燐酸の適量、硫酸アルミナ(或は骨粉)の一貫乃至三貫炭酸石灰十五貫を骨格にして、後は大豆粕、次は魚粕次は硫酸加里といふやうに肉をつけて行かれるのが安全のやうであります。………②
              〈『新校本 宮沢賢治全集〈第14巻〉雑纂 校異篇』184p~〉
 なお、抹消部部分は【第二版】にはあるが【第三版】にはないもの、橙色文字は逆に、【第二版】にはないが【第三版】にはあるものである。

 まずはお気付きのように、【第二版】における、「違和感のある表現」はさすがになくなっている。次に新たに気になったのが、「安全のやうであります」というような表現をしていて断定はしていないこと、である。そしてまた、【第二版】の発行が昭和6年3月10日前後、【第三版】のそれが昭和7年3月20日前後ということだから、約一年間でその具体的な施肥法がこのような変化していたことにも、である。よって、炭酸石灰を用いて「金肥代をできる丈節約する」という賢治の施肥法はこの段階ではまだ揺れていて、充分に確信の持てるものではなかった、ということを否定できない。

 それから最も注目したことが別にもう一つある。それは【第二版】の「炭酸石灰の特に有効な施肥法」では一切述べられていなかったのだが、【第三版】になって新たに「炭酸石灰の特に有効な施肥法」に付け加えられた、項目「五、」である。具体的には、
炭酸石灰の特に有効な施肥法
 …(投稿者略)…
五、大麦、小麦、燕麦の施用は稲よりも尚急務であります。…(投稿者略)…
              〈『新校本 宮沢賢治全集〈第14巻〉雑纂 校異篇』185p〉
にである。ということは、稲に対しての炭酸石灰の施用は麦類に比べればそれほどは優先すべきことではない、と【第三版】になって賢治は新たに書き加えたと言えるからである。
 しかもこの記述は、やはり【第三版】になって突如現れた、例の「この意味に要する石灰は水稲では極めて少量でありますがとも符合している。

 そこで私はおもむろに気付いた。どうやら、賢治は昭和6年頃から次第に、それまでの施肥法を少なくとも稲作においては変えていったのだ、と。そしてそれを簡潔に言えば、
    稲作にとっては、炭酸石灰の施用は麦等の場合と比べればそれほど必要とするものではなかったのだ。
というように、である。
 そしてこのことは、先の投稿〝「石灰は土壌の酸性を中和します」と水稲〟に関して佐藤氏から、
 賢治は、石灰による酸性土壌の中和については、水田より畑を重視していて、後年になるに従い、さらにその傾向が強くなっているように私は感じます。
ということをご教示いただいたところでもある。
 そこでこの時思い出すのが、賢治と花巻農学校で同僚だった阿部繁の、
 科学とか技術とかいうものは、日進月歩で変わってきますし、宮沢さんも神様でもない人間ですから、時代と技術を超えることは出来ません。宮沢賢治の農業というのは、その肥料の設計でも、まちがいもあったし失敗もありました。人間のやることですから、完全でないのがほうんとうなのです。
            <『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)82p~>
という述懐だ。そこで私は、この述懐はもはや無視できないのだということを覚悟した。

 こして私は腑に落ちた。【第二版】における施肥法〝①〟はまだ思いつき程度の段階のものであり、それが【第三版】になって、やっと具体的な施肥法〝②〟になったのだ、と。そして、「どうも紙の上で思い切つた事が申し上げられませんので甚だくすぐつたい感がいたします」という表現が「まだ思いつき程度の段階のものであり」ということを示唆していて、それがやっと【第三版】になってかなり具体化したから、「甚だくすぐつたい感がいたします」という文言に抱いた私の「違和感」は消えてなくなった。
 とはいえ、喜びは束の間、再びがっくりした。もはやこの施肥法〝②〟が賢治の奨めよって実践に移されたということは現実にはあり得なかったということに気付いたからだ。なぜならば、【第三版】の発行時期は昭和7年3月20日頃であり、前年6年の9月に東京で病気が再発してしまった賢治は、それ以降このような実践に関与できるような健康状態にはなかったはずだからだ。

 つまるところ、
 稲作における賢治の炭酸石灰の施肥法は、昭和6年頃になるとそれまでのものとは次第に変わっていき、稲作における炭酸石灰の施用は従前ほどは重要なわけではないと考えるようになっていった。
という蓋然性が高い。
 そしてその施肥法は次第に〝②〟のような、炭酸石灰を用いながらできるだけ金肥代の節約できる、当時の多くの貧しい農家にとってもなんとか受け入れ可能なそれへと変えていこうと思うようになったのだが、残念ながらこの施肥法〝②〟が賢治の奨めによって実践さに移されたとは言い難たい、ということも導かれてしまった。

<*1:投稿者註> ちなみに、同時代(昭和3年度)の賢治の肥料設計書の一例を挙げると、
  《〔施肥表A〕〔一〕》

            〈『校本 宮澤賢治全集 第十二(下)巻』(筑摩書房)183p〉
となっていて、
    厩肥:120貫、アムモホス:2貫、大豆粕:7貫、硫安:2貫、過燐酸:6貫、硫酸加里:2貫、(石灰岩抹:7貫)
となっている。なお、アムモホスとは同表にあるように、
    アムモホス  2貫  (窒素320、燐酸320、加里、  価格1.6円)
であるという。これに対して、昭和6年の賢治は上掲の【第二版】によれば、
    厩肥:200貫、硫安:1貫、(人糞尿:2荷半)、過燐酸:5貫、炭酸石灰:20~30貫
という施肥の仕方を例示していたということになる。

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