みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

工場の生産が増強

2021-03-16 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 では今回は次の項「工場の生産が増強」からである。それは、
   賢治の奔走は確実に、工場に利益をもたらした。
             〈『あるサラリーマンの生と死』(佐藤竜一著、集英社新書)146p〉
と始まっていて、次に、鈴木實(東蔵の長男)著『宮澤賢治と東山』から次の箇所を引いて、
 新しい入札も賢治の努力で成功し、軍馬補充部白川、川渡、三本木の三カ所に納入することができました。そのため工場は昼夜並行の操業となりました。…(投稿者略)…このように多忙な仕事になりましたが、工員たちの間には不平の声が聞こえないどころか、むしろ賢治を福の神とあがめて張り切って働きました。
これがその事情を簡潔に表していると佐藤氏は言う。
 そこで、『宮澤賢治と東山』を実際に見てみると、その91p以降にたしかにそう書いてあった。なお、「白川」はおそらく福島の「白河」であり、「川渡」は宮城県の「鍛冶谷沢」に当たるのだろうか。そして「三本木」はもちろん青森だ。すると少し疑問が湧く。それは、続けて佐藤氏は、
   秋田県での営業は失敗したが、岩手県や宮城県での営業は成果を収め始めた。
と述べていて、そこには福島県や青森県は入っていなかったからである。ということは、賢治は白河支部や三本木支部へは直接営業に出掛けたわけではなく、例のダイレクトメールのお蔭で入札できたということなのだろうか。
 また「軍馬補充部」といえば、賢治が愛した種山ヶ原の放牧地は、当時「軍馬補充部六原支部種山出張所」だったのだから、賢治は特に「六原支部」については詳しかったはず<*1>だ。しかも、六原支部は花巻の近くだ。ということは、賢治はもしかするとそこへは営業に出掛けなかったということになるのだろうか。あるいは、行ったのだが営業は失敗に終わったということだったのだろうか。

<*1:投稿者註> 例えば、賢治の作品『耕耘部の時計』の中の”三、午后零時五十分”に次のように、
 午の食事が済んでから、みんなは農夫室の火を囲んでしばらくやすんで居ました。炭火はチラチラ青い焔を出し、窓ガラスからはうるんだ白い雲が、額もかっと痛いやうなまっ青なそらをあてなく流れて行くのが見えました。
「お前、郷里はどこだ。」農夫長は石炭凾にこしかけて両手を火にあぶりながら今朝来た赤シャツにたづねました。
「福島です。」
「前はどこに居たね。」
「六原に居りました。」
「どうして向ふをやめたんだい。」
「一ペん郷国へ帰りましてね、あすこも陰気でいやだから今度はこっちへ来たんです。」
「さうかい。六原に居たんぢゃ馬は使へるだらうな。」
「使へます。」
「いつまでこっちに居る積りだい。」
「ずっと居ますよ。」
「さうか。」農夫長はだまってしまひました。
             <『校本 宮沢賢治全集 第九巻』(筑摩書房)より>
と、『六原』が登場するからである。

 続きへ
前へ 
 〝賢治の「稲作と石灰」〟の目次へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

***************************『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)の販売案内*************************
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
           〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
                      電話 0198-24-9813
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 下根子桜(3/15、残り) | トップ | 毘沙門山(3/15、キクザキイ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢治の「稲作と石灰」」カテゴリの最新記事