みちのくの山野草

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『農民藝術 No.2』(農民藝術社、昭和21年12月)

2021-05-14 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 では今度は『農民藝術 No.2』(農民藝術社、昭和21年12月)からである。
 今回は、東北砕石工場技師時代の賢治と石灰に関する言及が見つかった。それは照井又左エ門の「葵の花」という追想の中の次のようなものがである。
 梅の花も咲き終わつてもうそろそろ櫻の花も開き始める頃、組合(今の町農業會南城支所)は春肥の入荷で毎日多忙を極めて居た。
 ある日「御免くなんせ」見ると宮澤先生だ「どうぞ御入りんせ」事務所に入つた先生は「今度私は東磐井郡の松川村の炭酸石灰を造る工場に出ることになりあすた。炭酸石灰を組合の皆さんに使つてもらへながんすか」私は農事講習會に於て、先生の御話を御聞きして土壌改良に炭石の絶對必要なことを知つて居たので「早速御願しあす」と云つてその時一車を注文申上げた、種々肥料の話、土壌の話を詳しく御話して歸られた。
 田植間近になつて炭酸石灰が着いて早速組合の人達に配つてやつた、秋になつて使った人達から實りの具合がよく効果の覿面だつた報告を得て先生への感謝の誠を捧げるのだつた。
             〈『農民藝術 No.2』(農民藝術社)25p〉
 そして私は遅まきながら気がついた、この追想は以前〝南城産業組合へのタンカル売り込み〟で取り上げたものと同じものだと。言い方を換えれば、『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)の中の「肥料展覧会と石灰工場の技師」における出典はこの『農民藝術 No.2』(農民藝術社、昭和21年12月)であったということになる。したがって、このことに関する考察はその際<*1>に既に終えているからここでは繰り返すことはしない。

 なお、この『農民藝術 No.2』(農民藝術社、昭和21年12月)には「雨ニモマケズ」の中国語訳が載っていたので、以下に掲げてみる。


 こうして実際に中国語訳の全文を眺めていると、小倉豊文の、
 大日本帝国の傀儡国家「満州」で中国語訳して同様な目的に利用されたのは、この詩を軸とする賢治観の対立に象徴的な意味を持つ事実であって、独り農民に関してだけでなく、一般的に権力に利用される危険性をもっていたといえよう。
              <『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社、昭53)147p~>
という指摘を改めて噛みしめざるを得ない。

<*1:投稿者註> ただし、こちらでは照井又衛門となっている。
 また、『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)に、照井又左衛門(『南城新興共働村塾』代表)の弔詞が載っている
 おそらく、いずれも同一人物であろう。

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