みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

セールスマンとしての奔走

2021-03-12 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 今回は、「セールスマンとしての奔走」という項からである。そこにはこんなこと、
 セールスマンとしての、賢治の奔走がはじまった。
 実に、精力的な動きである。
 東北砕石工場に三月二六日に立ち寄った帰りに水沢に寄り、翌日は黒沢尻や二子方面に営業に行き、電報為替で送金している。
          〈『あるサラリーマンの生と死』(佐藤竜一著、集英社新書)132p〉
が述べてある。たしかに、以前にも掲げた以下の一覧表


               <『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)より拾い上げた>
にもそうあった。
 そして、佐藤氏は、
 三月二八日は、鈴木東蔵の手紙への返書を書いている。次のような内容である。

 拝復 過日御来花の際は店頭にて何の風情もなく甚失礼仕候。…(投稿者略)…当所昨日本日は肥料設計依頼の人十数名有之仲中々盛況御座候…(投稿者略)…
               〈同132p〉
と紹介し、「花巻出張所が賑わっていることを伝えている」と、判断していた。そういえばそうだった、当時の賢治の身分は実は、「東北砕石工場花巻出張所」の所長」だったのだ。

 一方で私は、今回の『「東北砕石工場技師時代」要再考』においては、特にこのようなことを知りたかったので、「それで……」とひとりごちた。が、残念ながらこのことについての続きはそこには書かれていなかった。一体、「肥料設計依頼の人十数名」とはどのような人たちだったのだろうか。実は私は、その中には小作農や自小作農はいたのだろうかとか、そもそもこの「肥料設計」とは田圃のためのそれだったのだろうか、などということを知りたかったのに……。
 というのは、先の投稿〝昭和6年の花巻地方「稲作は平年作以下?」〟の中にもあったように、昭和6年の「農村は悲惨な状態にあった」わけで、当時農家戸数の6割前後を占めていたという「小作農や自小作農」は、言い換えれば貧しい農家は肥料の三要素でもない石灰を米作りのために購入できたのだろうか、という疑問が湧いてくるからだ。
 実際、昭和6年9月17日付『岩手日報』には次のような記事が載っていて、
 自給肥料を 極力勧奨 金肥消費高減少す
本県下の金肥消費高は例年逐増の傾向にありこれに引き代えて自給肥料が旧体依然たる消費ぶりだが今年の如き不況の場合現金支出を極力差控へ自給肥料を使はねばならなぬと県農試並びに郡農会では多数の農家に向つて自給肥料の使用を勧奨してゐるいま本県下一戸当りの現金支出を見ると肥料代総額は
 大正十四年 百五十八円八十銭
 同十五年  百八十六円十四銭
 昭和二年  百九十一円十八銭
 同三年   百九十二円八十三銭
 同四年   百七十九円二十二銭
 同五年   百八十九円九十一銭
といふ状態で物価が低下してゐるにも拘わらず価格が一向に減らない許りかこれに比し反当たりの収量は全額に見て大正十四年時代本県下で平均七十七円七十七銭となつてゐるその後昭和二年には八十二円九十七銭となつてゐるが昭和五年は僅づかに四十七円三十六銭と云ふ収入であつたこれから見ると本県の農家の経済が益々行詰りを来すのは当然なので県農試郡農会が今冬の農閑期から自給肥料の使用増加を図ることになつた
ということだからだ。
 つまり、昭和5年の豊作貧乏および不況により疲弊していた岩手の農村、そこへ追い打ちを掛けつつある凶作の恐れがある昭和6年であり、当時の県農試や郡農会は金肥の消費を減少させようと指導していたのだから、奔走するセールスマン賢治を取り巻く環境はかなり厳しかったのではなかろうか。

 そんな心配も湧いてくるが、まあここは焦らずに、そのうち先の「疑問」に対する答を佐藤氏が教えてくれるだろうということを期待していよう。

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