みちのくの山野草

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『宮澤賢治素描』(関登久也著、協栄出版、昭和18年9月)

2021-04-21 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
<『図説宮澤賢治』(天沢退二郎等編、ちくま学芸文庫)190pより>

 さて、では今度は『宮澤賢治素描』(関登久也著、協栄出版、昭和18年9月)からである。
 この本の中で、東北砕石工場技師時代の賢治や石灰に関して言及されている箇所を探してみたならば、「炭酸石灰」という項が見つかって、
 晩年東磐井郡松川の石灰山から採れる炭酸石灰を、賢治氏自ら松川に出向いてその山の持ち主、鈴木東三氏と協力して掘出しました。土壌改良には是非この炭酸石灰を用ひなければならないと考へた賢治氏は。各地の肥料問屋に賣つてもらひ、一方郡農會とか、縣農會などへ行って、この石灰の一般普及に隨分盡力しました。
            〈『宮澤賢治素描』(関登久也著、協栄出版)7p~〉
ということなどがそこには書かれてあった。
 そこで私は、やっぱりと思って、確信がさらに増した。というのは、賢治が営業に出向いた先は、関登久也が書いているように基本的には「各地の肥料問屋に賣つてもらひ、一方郡農會とか、縣農會など」であり、個人農家、まして貧しい農家にも出向いたということは明記されていなかったからである。ちなみに、これらの営業先と、〈365 七月三日 鈴木東蔵あて 封書〔封筒ナシ〕に賢治が記した、22軒の営業先とは符合しているので、なおさらにそう思った。
 よって、東北砕石工場技師時代の賢治が石灰の施用を奨めた営業先は主に「各地の肥料問屋、郡農會、縣農會」であり、個人農家というわけではなかったから、
 東北砕石工場技師時代の賢治は、個人農家のたに直接炭酸石灰の施用を奨めたということは、基本的にはなかった。
と判断しても間違いなさそうだ。

 なお、この他には東北砕石工場技師時代の賢治や石灰に関しての言及はこの本の中には見つけられなかった。

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