みちのくの山野草

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苦しい東北砕石工場の経営

2021-01-21 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
〈『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)〉

 ではここからは、『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)を通じて、東北砕石工場技師時代の賢治に関して学んでゆきたい。

 最初は、「第二章 鈴木東蔵と宮澤賢治・その出会い」の「一 東北砕石工場の創業」からである。
 その出だしには興味深いこのようなこと、
 『小岩井農場七十年史』、『小岩井農場百年史』には小岩井農場自体の必須課題「土壌改良工事」に関わる記載があり、
 「次は酸性土壌の改良である。農場の土壌は分析表によると石灰含有量は〇・九%、酸度はPH五~六度であった。…(投稿者略)…」
             〈『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)73p〉
が書いてあった。そこでその年史を確認してみるとしかにそのとおりであったから、
    小岩井農場の土壌はpHが5~6
であると言えるだろう。
 伊藤氏はさらに、
 小岩井農場が土壌改良に必要な石灰細粉を農地に施与する計画を持ちながら、なかなか思い通りに入手できずに不便しており…(投稿者略)…「偶々県南の石灰業者に農場希望の通り細粉供給を請負うものが出来て入手が可能となった。」
             〈同74p〉
ということも教えてくれている。そして、もちろんこの「石灰業者」こそが東北砕石工場だということもである。
 ところが、同氏によれば、
 「小岩井農場には何とか十トン一車発送することが出来」たのが大正一四年、それ以後も引き続き十月から翌年三月にかけて、四百トンの石灰粒を毎年小岩井農場に納める仕事を請負い続けていった。ところが小岩井農場以外からの注文が殆ど入ってこない。…(投稿者略)…当時の農村は不況のさ中にあって農家の肥料購入能力は乏しく自給肥料にウエイトを置く従来の農法そのままであった。
             〈同84p〉
という現実の厳しさがあったということになる。と同時に、そもそも東北砕石工場の売り上げのうち、貧しい農家に使われた石灰岩抹はどれほどあったのだろうか、ここまで調べてきた限りでは、どうもその需要は微々たるものだったという直感が私にはする。それは、昭和5~6年頃は、伊藤氏が「当時の農村は不況のさ中にあって」と述べているが、まさにその通りの時代だったからである。しかも、「農家の肥料購入能力は乏しく」ということだが、小作農家や自小作農家は当然貧しくて、しかもこれらの農家は当時農家の6割前後も占めていたからなおさらに、肥料購入能力は乏しく金肥である石灰岩抹を購入する余裕のある農家は殆どなかったであろうことは言わずもがなだ。そこで、今後はこのことには特に注意をしながら『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』を読んでいきたい。

 とまれ、東北砕石工場を創立できたもののその経営は苦しく、それが改善される見通しはなかなか立たなかったようだ。

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