みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

東蔵と賢治の初対面は昭和4年春

2021-01-23 12:00:00 | 賢治の「稲作と石灰」
〈『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)〉

 さらに伊藤良治氏は、『新校本年譜』の昭和4年10月24日の記述、
一〇月二四日(木)東磐井郡松川駅前、東北砕石工場主鈴木東蔵、はじめて賢治を訪問する。
は誤りだということを『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』の89pで指摘している。
 それはなぜかというと、
 その根拠は、左記の賢治宛東蔵宛書簡の写しが東山町に残っており、 東蔵が「本年春承り候御説を……」の書き出しと、昭和四年一二月一二日の日付があり、その賢治返書「書簡番号二五〇」とつながっていることによる。この書簡から、既に東蔵が「昭和四年春」に賢治と接触(初対面)しており、炭酸石灰について教示を受けていたことになる。

「宮澤健二様

 拝啓 本年春承り候御説を石灰石粉の効果と題して…投稿者略…
 一、酸性土壌を一般の人に解り易からしむ様解説
   昭和四年十二月十二日」 
というように、書簡の写しを提示して、
 この書簡から、既に東蔵が「昭和四年春」に賢治と接触(初対面)しており、炭酸石灰についての教示を受けていたことになる。
             〈同90p〉
ということが実証できたからだ。

 なお、先に〝「東北砕石工場技師時代」とは〟で投稿したように、あくまでも、
 賢治が東北砕石工場技師として本格的な仕事に携わった期間は、昭和6年3月~昭和6年9月の約7ヶ月間であった。………①
であり、「本格的」か否かについては注意を要するが。

 とまれ、あの「石と賢治のミュージアム」の館長を勤めたこともあった伊藤氏のこの『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』は私にいろいろなことを教えてくれる。

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