海抜30mの嘉義站から2274mの沼平站まで登る世界有数の登山鉄道、阿里山森林鐵路も嘉義から竹崎の約30分間は家々の軒下をかすめたり稲田の中を中を走ったりします。そんな平地部分でかつて活躍したシェイ蒸気機関車が新造された檜木(ヒノキ)客車を牽引すると聞いたので竹崎まで出向きましたが残念ながら高齢のシェイは調子が悪くディーゼル機関車が代役を務めていました。まぁそれでも30分ナローに乗れただけでも幸せな気分になれました。
日本統治時代の駅舎が残る竹崎車站
かつて阿里山から伐り出された檜の集積地だった竹崎站には大きなヤードと機回しのための三角線もあります
檜木客車 逸走防止のため常に海側に機関車が連結され登山時に推進運転となるため乗務員が乗り込み機関車乗務員とレシーバーで連絡を取りながら山を登っていきます そのため客車にヘッドライトが付いています
檜木客車のメーカーズプレート
鹿麻産站に停車中の檜木列車
日本統治時代の駅舎が残る竹崎車站
かつて阿里山から伐り出された檜の集積地だった竹崎站には大きなヤードと機回しのための三角線もあります
檜木客車 逸走防止のため常に海側に機関車が連結され登山時に推進運転となるため乗務員が乗り込み機関車乗務員とレシーバーで連絡を取りながら山を登っていきます そのため客車にヘッドライトが付いています
檜木客車のメーカーズプレート
鹿麻産站に停車中の檜木列車
最近の記事まで、まだ辿り着けていないので、
ご近況は存じておりません(w (日本に居られるのですね)
自分がキャリアでない確証など簡単には得られないのですから、
そう易々と大切な場所には渡れませんよね。
ワクチンもそうですが、有効な治療薬が実現しないことには。
インフルエンザ並みに扱えるようになるまでは。
(本来ならインフルエンザの方が余程コワイそうです)
「天下が泰平を取り戻しますように。
人類があのタチの悪い病を一日も早く克服できますように」などと、
昼休みの散歩を兼ねて毎日お参りする弁天様に、
お願いするくらいで精一杯です。
2019年7月以降台湾には行けてないので最近は現地駐在員(甥・姪)が送ってきてくれた食堂の写真ばかりで、路地や鐡路を紹介することができないでモヤモヤしています。当時阿里山や虎尾を一緒に訪れた仲間(台湾人を含めて)とはFBでつながっていますが最近は「台湾へ行きたいねぇ」「コロナが収まったら台湾へいらっしゃい」ばかりです。
CB400four世代との事で、
ホークⅡ世代の私は五歳くらい年下でしょうか?
台湾、猫、旧い街並みや旧い鉄道(ナローとかも)など、
好みが合う感じで時系列順に一番最初から追って、
愉しく拝見させて頂いている最中です。
基隆の人車の記事で挙げられていた、
「くろがねのおと」さんのサイトへ行って堪能した後
(桑田次郎の漫画に出てきそうな美人の人車夫もとい婦の小姐は、
あの後どんな人生を送ったのでしょうね)
嘉義から出ていた台糖の客扱いのあった路線を知りました。
テンプレートを設けたかのように、
建造年代の差はあってドア配置と窓割が揃った小ぢんまりとした客車群や、
小柄でも整ったフォルムの気動車たちが愛らしく、
少しは調べてみたのですが例えば彼のサイトにあった写真の、
サボに写っていた「朴子」に鉄道公園みたいなものはあっても、
彼らの姿は無いのですね。
1970年代後半なんて、ほんの少し前みたいに思いがちですが、
四十年以上も前の事なんですよね。
台湾の日本統治時代が多寡だか五十年ほどの事です。
なんだか色々とモノ思う今日この頃ですが、
これからも愉しく拝見させて頂きたいと思います。
(とっちらかった書き込みでゴメンナサイ)
亀レス続きですいません。
わずか30分でしたがナローの檜の香のする客車に揺られる気分は最高でしたよ。
阿里山森林鐵路の檜客車を拝見しました。
日本でも、木の香りのするこんな新製客車がほしいですね。
デザイン的には古臭いですが、そこがまた私の好みにぴったりで、
気に入りました。
ご乗車になられたとのことですが、
檜の香りはいかがだったでしょうか。