コメント欄を全く見てなかったので失礼しましたが、消えゆく眷村に関して、「80年代初め、松山に日本人学校があったころ、近くに全員男性の養老院があって衝撃でした」という投稿をいただきました。國共内戦に敗れて國民党軍が台湾に逃れてきた際、将官クラスなど高級軍人は奥さんや子供など家族を連れてくることが出来ましたが、二等兵など下級軍人は単身で着のみ着のままで逃れてこざるを得ませんでした。高級軍人は敗戦後日本人が放棄していった家屋が宛がわれましたが当然全員に行き渡るはずもなくその対策として各地に建設されたのが眷村です。眷村は北から南まで台湾全土に建設されましたが國民党が台湾に逃れて68年、当時の軍人はほとんどが鬼籍に入り台湾の経済発展もあって眷村の役目は終わり特に都市部の再開発が進む台北では撤去が進んできました。投稿された全員男性の養老院と言うのもおそらく単身での来台を余儀なくされた軍人を対象とした養老院だったのではないでしょうか、日本の戦後も同じですが時代の波に翻弄された多くの無名の人々によって今の繁栄があることを忘れないようにしなければならないと改めて思います。
さて新シリーズで夜の永康街散歩です、台北の我家から永康街までは大安森林公園を横切って15分ほど、買い物やご飯を食べにも行きますし暖かいときなどは夕食後の散歩にも適当な距離です。
建國南路の結婚式場紹介センター
大安森林公園から望む信義路の億ション
捷運大安森林公園站
台北市内億ションの走り愛菲爾大廈
帰宅客で混み合う信義新生路口
さて新シリーズで夜の永康街散歩です、台北の我家から永康街までは大安森林公園を横切って15分ほど、買い物やご飯を食べにも行きますし暖かいときなどは夕食後の散歩にも適当な距離です。
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