春先、ダンナの友達が亡くなった。先月は友達のダンナさんが亡くなりそして今日は30年以上に渡って親交を深めている親友のお父さんが亡くなった。死は自然なものだからそうなって当たり前なのだが、何とも気持ちが沈む。特に今日の彼の死は突然の訃報だったので余計にこたえた。今年の初めころから「父の具合がよくない」とは聞いていた。ただ、近くに住んでいていつでも会える距離にはいないのでこのところご無沙汰ではあった。そこに来ていきなり、亡くなったとなるとびっくりしていまった。もっとも親友本人にしたらもっとびっくりの出来事だったらしい。直ぐに駆けつけられないのでとりあえずの気持ちで電話をした。最初は元気にふるまっていた彼女も核心に触れると辛い口調になって、こちらも辛かった。最後は取り留めもない話しをして別れた。でも気になる。残されたのはお母さんとお姉さん家族、そしておひとり様の彼女。親が死ぬ時に気になるのはやっぱり我が子の行く末。その点ではお父さん、どんな思いで旅立たれたのだろうか。いらんお世話か・・・・合掌。
オウム真理教の特別手配犯たち最後のひとり、高橋克也逮捕は近いのか? 警察署の前を通る度に指名手配の写真が気になる程度に日頃は忘れていた人たち。昨年末の平田信逮捕~数日前の菊地直子逮捕を受けて急に当時のことが思い出された。ニュースでも伝えられているようにあれから17年(菊地の逃亡期間)が経った。だから若者たちにはオウム真理教の悪さの記憶は殆どないのだろう。20代半ばを迎えた我が息子たちも同じこと。小学生時代に事件は起きた。麻原彰晃たちが選挙に出た時には”しょうこうしょうこう~”の気味の悪い歌を楽しげに歌っていたっけ。そんな彼らも成人し、当時洗脳されて悪事を働いて若者たちと同世代になった。伝え聞くところでは今も新たにメンバーとなる若い人がいるとか。その気持ちはまるで理解出来ないしそれを許している社会もどうなのかと思う。アレフ? そんなもの権力を振りかざしてでもつぶせないのでしょうか。また同じような事件が起こるとは思えないが起きてからでは遅いのだから誰かどーにかして頂戴な。
滞ったままの内閣を改造したところでどうなるんですか? と野田総理に問いたい。だけど何もしないで先に行くこともできなかったのだろうなぁ、とも思う。コロコロと大臣が変わるようになって久しいが一体いつまでこんなしょーもない状況が続くのか。嫌になる。最初から問題視されていた防衛大臣は今度こそ大丈夫なんでしょうねぇの初の民間人、森本敏拓殖大学大学院教授が就いた。防衛大出身で防衛相補佐官の経験もある実力者。前大臣よりはまともな筈。ただ民間人であることには批判の目もあるようで、今後の働きぶりに注目したい。それにしても毎度感じるが、この人事も誰がどうやって決めているのか。順番で回ってくるのをひたすら待ち続ける人たちも大勢いるらしい。が、国のためにまともに働こうをする人が激減した今、改造した人事を見ても何だか空しい。羽田元総理の息子が国土交通海洋政策、なんてものに選ばれていたがどんな人なの? 全く知らないんだけど。 政治家の親力は並みのものじゃないな、と改めて感じた。恐れ入りますしいい加減にせーよ、と言いたい。
ついに捕まったんだねぇ。なんて呑気な感想を漏らしてはいけないかな。当事者の方々にとってはとんでもない人なのだから。いくら今は麻原を信じていないと言っても以前は違ったわけで。しかもかなりの信者だったのでしょう? 本人の認識不足だろうけどサリン作りに関わっていたそうだし。それにあの団体自体、そもそも麻原彰晃その人の存在を許して信じてついて行ったことが変。そこからいつ現実に戻ったと言うのか。それに戻った時点で警察に出頭すべきだったんじゃないのか。同じく元信者の斎藤明美が偽名で接骨院で働いていたのと同様に偽名を名乗って、こちらは介護施設に勤務していたとか。麻原の呪縛から覚めても実際には自分可愛さで罪を償おうとはしていなかった。どんだけしたたかなんだ、と呆れる。隠れて男と暮らしていたなんてやっぱりあかんでしょう。オウムによっていかに多くの無関係者がつらい世界に巻き込まれたと思ってんのか。否、分かってないなそんなこと。分かっていたら逃亡生活はできない。そんな生活を送ったことがないからほんまのとこは理解不能だけど、事の重大さを分かっていなかったんじゃないのかな、彼女も。これからの人生で充分に償ってちょうだいな・・・・。
5月の三社祭に始まって下町地域では夏(?)祭りが盛ん。先週、今週、来週と毎週近場の町内会で盛り上がっている。代々の血なのか、祭りと聞いてもちーっとも血が騒がない。思い起こせば両親もそんなだった。ダンナも同じく、そして我が子たちも同様。(親がそうだと子も自然とそうなるよね)半被を見てもお囃子を聞いても心に変化なし。と言うよりもあのざわざわ感が苦手。先週の日曜日に続いて今朝も8時過ぎに自転車で出かけたら、町中に半被姿の若い衆やら年寄だかがいて堂々と歩道を塞いでいた。つまりはお祭りなのだからの大きな顔をしている人々によって町が占拠されたよう。生まれた時からここに住んでここでの暮らしを大事にすればこその姿なのだろうけど、他所生まれの同じく他所育ちに身にはなんのこっちゃ、の話し。彼らの生き方を非難する気はまるでないが何だか種類が違うなぁと感じるこの頃だ。