サリン事件から昨日で19年。そんなに経ったのかとちょっと驚き。ニュースでは霞ヶ関駅で駅員達が黙祷する姿が映し出されていた。当時の事を知る人は誰もいないのかも。若手の社員も増えた。駅員で犠牲になったタカハシ何某さんの奥様のシズエさんも現場で手を合わせていた。駅員達の黙祷姿で気になったのは帽子を被ったままの姿だったこと。あれはおかしくないの? 女性は被ったままでも許されると聞いた事があるが、男性の駅員の制帽での黙祷には違和感があった。帽子は当然とって祈るべきじゃないのか。上役のようなイイ年をしたおじさんたちも皆、帽子姿。あれが正解? 考えないといけない事が他にあった筈なのにその姿が目に焼きついてしまい、思考が止まった。オウム事件はこの数年で新たな逮捕者も出て、やや動きがあった。けれど、、犠牲者や後遺症で苦しむ人達にとっては生ぬるい裁判ではないのか。死刑囚は何人もいるがなかなか執行されない。下手をしたら死刑囚の方が長生きをしたりして。重大犯罪人のアサハラはどうなっているのか。いつまでダラダラと生きながらえさせるつもり? 死刑と判断が下されたら直ぐに執行しないのは日本の温く悪い習慣だと思うが、何故改善されないのだろうか。