スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヤンググランプリ&第三部定理二三備考

2018-01-01 19:07:41 | 競輪
 12月28日に平塚競輪場で行われたヤンググランプリ2017。並びは吉田‐鈴木の茨城と太田‐小川の徳島で新山と山岸と堀内と取鳥と竹内は単騎。
 スタートを取りにいったのは新山と取鳥と山岸。この場合は内が有利で新山が前受け,2番手に取鳥,3番手に山岸。4番手が太田で6番手に吉田。8番手が取鳥で最後尾に堀内で周回。残り2周のホーム手前からまず吉田が上昇。新山も合わせてホームの出口で誘導を退避させました。バックに入って吉田が新山を叩いて前に。鈴木の後ろに竹内がスイッチしようとしましたが,太田が阻止。新山は太田の内まで引きました。このまま打鐘からホームに入り吉田の抑え先行に。バックから太田が発進すると逃げた吉田が自身で牽制。これで内が開いたので番手の鈴木がそこを抜けて優勝。牽制をかいくぐった太田が半車輪差で2着。バックから内を回ってきた堀内が半車輪差で3着。
 優勝した茨城の鈴木竜士選手はグレードレース初優勝。このレースは太田と新山と吉田が脚力では上位だろうとみていました。鈴木は昨年はFⅠでも優勝がなかったくらいですから,実績面では見劣る存在ではありましたが,ラインができたのが吉田と太田だけで,吉田マークを選択。なおかつその吉田が逃げて,自分でブロックにいくというようにかなり奮闘しましたので,最後は恵まれることになったといったところでしょう。本当の力をつけるのはまだこれからの選手だと思います。

 思想は感情affectusそのものであるというより反省的認識という側面が強いと思われます。排他的思想の持ち主が悲しみtristitiaという感情に隷属している人間であることは,後に示すように明白な事実ではありますが,単にある人間を否定することいい換えればある人間を表象するimaginariということで自身が悲しみを感じるからといって,その人間が直ちに排他的思想を有しているとは断定できないということも同時に示しておく必要があるでしょう。
                               
 スピノザは第三部定理二三備考で,第三部定理二三に示されている喜びlaetitiaについて,次のようにいっています。
 「この喜びはあまり基礎の固いものでなく,また心情の葛藤を伴わないわけにはいかない」。
 第三部定理二三は,自分が憎んでいる人間が悲しんでいると表象すれば喜びを感ずるということを示しています。けれどもこの喜びは基礎が固いものではないとスピノザは備考Scholiumでいっているのです。なぜなら第三部定理二七により,人間の現実的本性essentia formalisは,基本的には他人が喜んでいると表象するなら自身も喜びを感じ,逆に他人が悲しんでいると表象するなら自分も悲しみを感じるようになっているからです。いい換えれば感情の模倣affectum imitatio,imitatio affectuumというのは同調的であるからです。確かに第三部定理二三は,とくに憎んでいる人間についていわれていて,自分が憎んでいる人間に対しては感情が同調しにくい,要するに感情の模倣が生じにくいということをいってはいるのですが,第四部定理三一系を参照すれば,たとえ憎んでいる人間であっても自身の現実的本性と一致する部分を見出すことが容易な同類であるとみることは可能ですから,第三部定理二七のような感情の模倣が絶対的に生じないとはいえません。むしろ生じやすいとさえいえるでしょう。よってこの種の喜びというのは,第三部定理二七の感情の模倣と比較した場合には基礎が固いといい得るような喜びではありません。むしろ第三部定理二三の喜びと第三部定理二七の悲しみが同じ人間のうちで同時に生じるということがあり得ることになり,この場合はその人間は心情の動揺animi fluctuatioを感じます。この備考で心情の葛藤を伴わないわけにはいかないといわれているのは,そういう意味です。

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