小川良成は全日本プロレス時代に三沢光晴にパートナーに選ばれることによって,トップクラスで戦うようになりました。三沢は素顔に戻ってからは川田利明,川田が田上明と組むようになると小橋建太,小橋がジョニー・エースやジ・パトリオットとチームを組むことによって秋山準とパートナーを変えていき,秋山と小橋が組むようになったのでパートナーが不在となり,小川を指名したのでした。
この指名は,三沢がリング上の実権についてはそのすべてを握ったことによって可能になったことでした。もしも馬場がリング上のことをすべて決定する権利を持ち続けていたら,たぶん三沢のパートナーが小川になることはなかったと思います。というのも馬場は身体が大きな選手が好みであって,三沢とか川田でもたぶんプロレスラーとしては小さすぎると感じていたと思うのです。それでも三沢や川田はジュニアヘビー級では戦えないくらいの大きさがありました。小川は三沢や川田よりもさらに小さく,ジュニアヘビー級でも戦うことができる選手でしたから,いかに全日本プロレスのヘビー級が無差別級を意味するとはいえ,小川くらいの身体の選手が無差別級のトップで戦うことに否定的であったと思われるからです、というかむしろ全日本プロレスのヘビー級が無差別級を意味していたから,小川のような身体が大きくない選手は,無差別級のトップクラスで戦うだけの体力がないというような思い込みが馬場にはあったといった方がいいかもしれません。
三沢を小川をパートナーに指名した後で,そのチーム名をアンタッチャブルと名づけました。このアンタッチャブルという命名は,上記の事情を考慮すれば,ある意味が込められていたと考えることができます。それは,小川を自分のパートナーにすることを全日本プロレスのオーナーである馬場は快く思わないかもしれないけれども,リング上のことは自分で決定する,つまり馬場にはタッチさせないという意味です。
もちろんこれは僕の推測で,三沢が本当はどう考えていたのかは分かりません。ただアンタッチャブルという命名にはもしもこんな意味があったとしたら,当時の三沢の決意がいかに強いものであったかが実感できます。
デカルトRené Descartesがスピノザとは違って,たとえ人間の知性intellectusが観念ideaを形成するという思惟作用のうちに疑い得ないこといい換えれば絶対的に正しいといえることが何もないとしても,絶対的に正しいといえる事柄がこれ以外の様式のうちにあり得ると考えることができたのは,スピノザの哲学とデカルトの哲学との間に相違があるからです。
僕は人間の知性が何らかの観念を形成するといっていますが,人間の知性はそれ自体がひとつの観念であるというのがスピノザの見方です。このことは,第二部定理一一から明らかです。ここでは人間の精神mens humanaといわれていますが,この定理Propositioで人間の精神といわれている思惟の様態cogitandi modiは,この考察で人間の知性といっている思惟の様態と同じだからです。しかしそれよりも,スピノザは個々の観念の集積のことを一般に知性というということからこれはなお明らかだといえます。つまり人間の知性というのは,その知性を構成する個々の観念の集積のことをいうのであって,その個々の観念の集積としての知性が,ひとつの観念を構成するのです。このことは,人間の知性を構成する個々の観念というのは個物res singularisの観念であるということに注意するならば,第二部定義七でスピノザが,いくつかの個物によって構成されるひとつの個物があるといっていることから明白でしょう。このために,知性が観念を形成するということ,あるいは同じことですが知性が何らかの事物を認識するcognoscereということが,第一の思惟作用である場合には,この第一作用のうちに正しいといえることが何もないのなら,人間の知性のうちに正しいといえることは何も発生しないということが直ちに結論されることになるのです。
デカルトはたぶん知性を観念の集積とする見方をしていないのです。このゆえに,たとえ認識される観念のうちには正しいといえるようなことが何もないとしても,直ちに正しいといえることは何もないということが帰結しないことになります。なぜなら,人間が何かを認識することによって観念が形成されるということと,何かを認識するその認識作用自体とを,別の様式の下に考えることができるからです。その様式の下にデカルトは答えを発見します。
この指名は,三沢がリング上の実権についてはそのすべてを握ったことによって可能になったことでした。もしも馬場がリング上のことをすべて決定する権利を持ち続けていたら,たぶん三沢のパートナーが小川になることはなかったと思います。というのも馬場は身体が大きな選手が好みであって,三沢とか川田でもたぶんプロレスラーとしては小さすぎると感じていたと思うのです。それでも三沢や川田はジュニアヘビー級では戦えないくらいの大きさがありました。小川は三沢や川田よりもさらに小さく,ジュニアヘビー級でも戦うことができる選手でしたから,いかに全日本プロレスのヘビー級が無差別級を意味するとはいえ,小川くらいの身体の選手が無差別級のトップで戦うことに否定的であったと思われるからです、というかむしろ全日本プロレスのヘビー級が無差別級を意味していたから,小川のような身体が大きくない選手は,無差別級のトップクラスで戦うだけの体力がないというような思い込みが馬場にはあったといった方がいいかもしれません。
三沢を小川をパートナーに指名した後で,そのチーム名をアンタッチャブルと名づけました。このアンタッチャブルという命名は,上記の事情を考慮すれば,ある意味が込められていたと考えることができます。それは,小川を自分のパートナーにすることを全日本プロレスのオーナーである馬場は快く思わないかもしれないけれども,リング上のことは自分で決定する,つまり馬場にはタッチさせないという意味です。
もちろんこれは僕の推測で,三沢が本当はどう考えていたのかは分かりません。ただアンタッチャブルという命名にはもしもこんな意味があったとしたら,当時の三沢の決意がいかに強いものであったかが実感できます。
デカルトRené Descartesがスピノザとは違って,たとえ人間の知性intellectusが観念ideaを形成するという思惟作用のうちに疑い得ないこといい換えれば絶対的に正しいといえることが何もないとしても,絶対的に正しいといえる事柄がこれ以外の様式のうちにあり得ると考えることができたのは,スピノザの哲学とデカルトの哲学との間に相違があるからです。
僕は人間の知性が何らかの観念を形成するといっていますが,人間の知性はそれ自体がひとつの観念であるというのがスピノザの見方です。このことは,第二部定理一一から明らかです。ここでは人間の精神mens humanaといわれていますが,この定理Propositioで人間の精神といわれている思惟の様態cogitandi modiは,この考察で人間の知性といっている思惟の様態と同じだからです。しかしそれよりも,スピノザは個々の観念の集積のことを一般に知性というということからこれはなお明らかだといえます。つまり人間の知性というのは,その知性を構成する個々の観念の集積のことをいうのであって,その個々の観念の集積としての知性が,ひとつの観念を構成するのです。このことは,人間の知性を構成する個々の観念というのは個物res singularisの観念であるということに注意するならば,第二部定義七でスピノザが,いくつかの個物によって構成されるひとつの個物があるといっていることから明白でしょう。このために,知性が観念を形成するということ,あるいは同じことですが知性が何らかの事物を認識するcognoscereということが,第一の思惟作用である場合には,この第一作用のうちに正しいといえることが何もないのなら,人間の知性のうちに正しいといえることは何も発生しないということが直ちに結論されることになるのです。
デカルトはたぶん知性を観念の集積とする見方をしていないのです。このゆえに,たとえ認識される観念のうちには正しいといえるようなことが何もないとしても,直ちに正しいといえることは何もないということが帰結しないことになります。なぜなら,人間が何かを認識することによって観念が形成されるということと,何かを認識するその認識作用自体とを,別の様式の下に考えることができるからです。その様式の下にデカルトは答えを発見します。
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