スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

共同通信社杯&無限の概念

2020-09-21 19:06:27 | 競輪
 伊東温泉競輪場で開催された第36回共同通信社杯の決勝。並びは山崎‐山田‐中本-園田の九州で,新田と吉沢と岩本と脇本と松浦が単騎。
 中本がスタートを取って山崎の前受け。5番手以下は松浦,新田,吉沢,岩本,脇本の順で周回。残り3周のバックから前との車間を開け始めた脇本がホームから発進。これに合わせて誘導との車間を開けていた山崎も発進して先行争い。打鐘が入って山田が脇本をブロック。脇本は立て直してさらに捲りにいきましたが,中本からもブロックを受けて外に浮いてしまいました。脇本に続いていた松浦がバックから踏み上げていくと,さらに外から新田の捲り。新田が松浦の前に出ましたが最終コーナーで山田がブロックし新田も失速。このあおりで新田に続いていた吉沢が落車。直線は内からきた中本も牽制して山田が1位で入線。しかし新田を押し上げて吉沢を落車させたために失格。2位で入線した中本が繰り上がって優勝。中本マークの園田の外から伸びた松浦が半車身差で2着。園田がタイヤ差の3着で大波乱の結果。
 優勝した熊本の中本匠栄選手はグレードレース初優勝。このレースはおおよそ競輪とはかけ離れたライン構成になりました。見どころはそれでも個々の力が優るのか,それとも結束力の方が優るのかという点で,このレースは後者に軍配が上がりました。脇本,新田とふたりを止めて1位で入線した山田の働きが大であったというほかありません。前受けをして突っ張るという作戦もよかったのだと思います。

 なぜスピノザは思惟の属性Cogitationis attributumの間接無限様態を明らかにしていないのか,という点に関する河合徳治の論考を正しく理解するためには,スピノザの哲学における無限infinitumという概念notioを,河合がどのように解しているのかを知っておく必要があります。ですからまずはその点をみておくことにします。
                                        
 河合によれば,無限という概念は,スピノザの哲学においては,三種類に分類することができます。河合は当該の部分では規定という語句を用いていますので,ここでもそれに倣います。
 河合による無限の第一の規定とは,それ自身の本性essentiaによって無限であるといわれる場合の無限です。これは神Deusおよび神の属性が無限であるといわれる場合の無限に該当します。いい換えれば,スピノザの哲学において能産的自然Natura Naturansといわれるものは,第一の規定の意味での無限を構成し,また第一の規定における無限に含まれるのは,能産的自然だけであるということになります。
 河合による第二の規定は,その原因causaによって無限であるといわれる場合の無限です。スピノザの哲学でこれに該当するのは,無限様態modus infinitusです。より正確にいえば,直接無限様態と間接無限様態です。無限様態は能産的自然ではなく所産的自然Natura Naturataを構成しますが,所産的自然のうち直接無限様態と間接無限様態は,第二の規定における無限を構成することになります。自然のうちに存在するのは実体substantiaである神とその属性,そして様態だけです。このうち神と属性は能産的自然として第一の規定に含まれます。ここから明白なように,所産的自然のうち無限の第二の規定に該当するのは,無限様態だけであることになります。そして,無限の第二の規定に該当する無限様態は,それが抽象的に概念される限りでは,部分に分割され,有限finitumであるとみなされ得ると河合は指摘しています。しかしここではこの点については河合がそこでいっているほどには重視しません。ただ,現時点での僕の解釈と同様に,実体についてはそれを部分に分割することは不可能だけれども,無限様態についてはそれを部分に分割することが可能であるとスピノザは考えているというように,河合もスピノザの哲学を解しているという点に注意してください。

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