スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑭-5&人間の多様性

2017-12-16 19:17:29 | ポカと妙手etc
 ⑭-4の第2図の後手玉はかなり受け難そうにみえたのですが☖4一歩という手がひねり出されました。
                                     
 これは☗同とでは詰めろが途切れてしまうので先手は☗3二と☖同玉と捨てて☗4一龍と王手でその歩を取りました。
 対して☖2二玉は三手詰みですから☖3三玉はこの一手です。
 AbemaTVは室谷由紀女流二段が聞き手役で,この局面では☗4四龍と王手で引けば☖2四玉も☖3二玉も一手詰み。なので☖2二玉と逃げる一手。そこで☗3二金と打てば☖同玉はまた一手詰みなので☖1二玉と逃げる一手。そこで☗4一龍か☗4二龍とすれば後手玉は受けなしで先手の勝ちではないかと指摘していて,解説の中村太地六段(当時)も同調していました。ですが先手はそう進めずに☗8八金と銀を入手する詰めろを掛けました。
                                     
 これは実際に盤上には現れなかった水面下の変化を含んだ手順です。この手もまたこの将棋が名局賞に選出された一因になったのではないかと推測されます。

 第四部定理四で,人間が自然の一部分ではないことは不可能だといわれているのは,現実的に存在する人間は自然に共通の秩序ordoに従わないことは不可能であるという意味です。そういう意味ではあるのですが,人間が自然の一部分ではないということが不可能であるということは,人間は必然的にnecessario自然の一部分であるということを同時に意味します。そしてすでにみたように,自然の多様性はスピノザの哲学では絶対的に肯定されなければなりません。したがって,その自然の一部分を構成する人間の多様性もまた,全面的に肯定されなければならないことになります。というのは自然の多様性に対する絶対的な肯定とは,部分的な否定negatioすら許されないという意味でしたから,もし人間の多様性を何らかの点において否定するなら,それは自然の多様性を部分的に否定しているという意味になってしまい,自然の多様性の絶対的肯定から外れてしまうからです。
 第二部定理二九備考では,自然に共通の秩序に対して知性intellectusの秩序が暗に示されていました。これは人間が知性の秩序に従うことも可能であるということを前提しなければ意味を有さなくなります。そしてそこに示されている知性の秩序の基礎となるのは共通概念notiones communesで,第二部定理三八系からして現実的に存在する人間の知性の一部は共通概念によって構成されていなければなりません。よって現実的に存在する人間が知性の秩序に従うことも可能であるという前提は成立していることになります。ですがこのことは,人間が自然の一部でないということは不可能であるということ,つまり人間が自然の一部であるということ,そしてそのゆえに人間の多様性が肯定されなければならないということとは何ら矛盾しません。
 そもそも現実的に存在する人間の知性は自然の一部であると僕は考えます。しかし仮にそう考えなくても,人間が知性の秩序に従うということは,人間が理性的であるということと同じことだという点に注意するだけでも十分です。なぜなら第四部定理三五にあるように,人間は理性的である限りでは本性naturaの上で一致をみるのですから,理性ratioに従う限りで人間の多様性を否定する要素は何もないからです。

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