スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

川崎記念&伯母の再来日

2011-01-26 18:42:21 | 地方競馬
 年明け最初の大レースとなる川崎記念。テスタマッタが前日に取り消し,11頭。
                         
 単勝で元返しという断然の人気に推されたフリオーソの逃げ。クリュギストとメイショウタメトモの2頭が追っていきました。ラップはあまり一定していませんでしたが,これはおそらく川崎コースは長めの直線と急カーブという構成になっているからでしょう。
 いつものように後方に待機していたボランタスが向正面で進出。直線の入口あたりではクリュギストは苦しくなり,メイショウタメトモに並び掛ける形。ただ,逃げていたフリオーソにはまだまだ余力があり,直線でも後ろを引き離して5馬身差の圧勝。一旦はボランタスが2番手に上がったようにも見えましたが,ロングスパートで最後は失速。内から差し返す形でメイショウタメトモが2着,ボランタスが3着。
 優勝したフリオーソは昨年9月の日本テレビ盃以来の勝利。大レースはその前の帝王賞以来の5勝目。テスタマッタの取消でここは大レースはおろか重賞の勝ち馬さえ不在という組み合わせ。それなら離して勝つのも必然。好発から先手を奪った時点ですでに勝負ありといったところではなかったでしょうか。
 騎乗した大井の戸崎圭太騎手は南関東では年末の東京2歳優駿牝馬を制していて,大レースは帝王賞以来。川崎記念は初制覇。管理している船橋の川島正行調教師はやはり帝王賞以来の大レース制覇で川崎記念は2006年以来,通算では3勝目,大レースとしては2勝目。

 この22日に,11月にも来日して,一旦は帰米していた伯母,母の姉が再来日しました。これは当初からの予定通りであって,母が退院したのに合わせて来日してきたというわけではありません。11月に帰米した時点ではすでにこの再来日が決定していましたから,大方の荷物をこちらに残していったくらいです。そしてその帰米の時点では,母の退院というのはまだ決まっていませんでした。僕は,リハビリというのは月単位で考えなければいけないとN先生に言われた時点で,年内の退院というのは想定できなくなり,早くても年明けだろうと思っていました。今回の伯母の来日は,年をまたぐような日程になっていましたから,帰米するときには,次の来日中には母も退院できるのではないかという見込みを伯母自身は立てていたようですが,そうした11月の帰米時点での僕たちの見立てより早く,母は退院することができたのです。
 11月に伯母が来日したとき,僕はふたつのことをお願いしました。そのうち,妹の夕食の支度というのは,今回は母がいますから問題ありません。一方,妹を作業所まで送って行くということについては,迎えの支援が基本的に週3日ありますので,残りの2日間に関してはお願いすることにしました。
 したがってこの伯母の再来日により,僕の負担というのはさらに軽減することになりました。というよりも,実際にそのようにしたかどうかはまた別の話になってしまいますが,母の異変が生じた10月8日以前と同じような日常生活を送るということも可能な状況となったのです。ただし伯母はずっと日本にいるというわけではなく,年明け,すなわち今月の16日にはまたロサンゼルスに帰ることになっていましたので,この状況はあくまでも一時的なものではありました。
 伯母は来日するときも帰米するときも,搭乗する飛行機は常に同一。したがって,飛行機によほどの遅れが生じない限りは同じような時間に日本に着きます。今は羽田の便もあるのかもしれませんが,到着は成田で,横浜まではさらに時間が掛かり,家に着くのは夜の8時過ぎ頃になります。時差もあっていつもそうですが,この晩も家には少し顔を出しただけで,アパートへ向いました。
 

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