スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

共同通信社杯&宗教心

2023-09-18 19:35:46 | 競輪
 第39回共同通信社杯の決勝。並びは渡辺‐深谷の静岡,三谷‐南の近畿,佐々木‐清水‐隅田の瀬戸内で新山と嘉永は単騎。
 三谷がスタートを取って前受け。3番手に渡辺,5番手に新山,6番手に佐々木,最後尾に嘉永で周回。残り3周のバックから佐々木が上昇。嘉永も続きました。前まで上がらず渡辺に蓋をしようとすると,渡辺は引きました。これによって3番手に佐々木,6番手に嘉永,7番手に渡辺,最後尾に新山という隊列に。ホームの出口から佐々木が再上昇すると,三谷は突っ張りましたがバックに入って佐々木が叩きました。打鐘から渡辺が発進して佐々木をさらに叩くとこのラインに続いていた新山はこの渡辺の勢いに乗ってそのまま発進。ホームで渡辺を叩いて単騎の先行になりました。嘉永も捲ってきたのですがこれは深谷がブロック。嘉永を止めた深谷は最終コーナー手前から自力で発進。新山と渡辺の車間は開いていたのでどうかと思いましたが,直線であっさりと新山を差すとそのまま突き抜けて優勝。逃げ粘った新山が3車身差で2着。渡辺,南,佐々木,隅田の3着争いになり,大外の隅田が1車身半差で3着。佐々木が半車輪差の4着。渡辺が半車身差の5着で南が微差で6着。
                                        
 優勝した静岡の深谷知広選手は前回出走の松戸記念に続いて連続優勝。ビッグは2014年のサマーナイトフェスティバル以来となる6勝目。共同通信社杯は初勝利。青森では2016年2017年に記念競輪を連覇しています。競輪はラインができた方が有利なのですが,このレースはラインの前を走る選手より単騎のふたりの方が脚力は上なので,予想が難解でした。新山は結果的にいえばかましていくタイミングが早く,もう少し静岡ラインを追ってから発進した方がよかったのかもしれませんが,そうすると嘉永が捲ってきて捲るタイミングを逸するということもあり得ますので,致し方なかったのかもしれません。深谷は嘉永をしっかりと止めてから新山を追っていき,突き抜けていますから内容は文句なし。番手での走りというのに慣れてきたという面もあるように感じました。

 第四部定理三七備考一のこの部分でいスピノザがいいたいのは,Deusを認識するcognoscere限りにおける僕たちから生じるすべての欲望cupiditasと行為について,それを一般的にいわれている宗教心religioという語と関係づけるということではありません。そうした欲望および行為の源泉を宗教心というということなのです。したがって,いってみればこれは『エチカ』における宗教心の定義Definitioに類することなのであって,宗教心とは,現実的に存在する人間が神を認識する限りにおいて生じる欲望および行為の十全な原因causa adaequataであるとか,そうした欲望および行為の原因となる能動的な感情affectusであるということなのです。
 これでみれば分かるように,スピノザの哲学における宗教心というのは,僕たちが普通に使うような宗教心,あるいは僕たちがもっと慣れ親しんでいることばでいえば,信心といったこととはだいぶ異なったものです。だから本当は,この宗教心という語自体を,もっと適切な日本語に訳し直した方がいいだろうと僕は思っています。ただ,では何が適切な訳語であるのかということは現在の僕には思い浮かびませんし,何よりこのことは現在の考察とはまったく関係がないことですから,ここではこの点についてはこれ以上のことはいいません。それでも,スピノザのいう宗教心というのが,やや特殊な意味を有しているという点については留意しておいてください。
 畠中は,この部分でスピノザが何をいいたいのかということについてはよく理解していたので,ここでは宗教心と関係させるとは訳さないで,宗教心に帰するというように,一種の意訳をしたのです。この意訳はとても有意義なことであって,確かに宗教心に帰するといういい方をすることで,スピノザの意図を的確に日本語として表現したといえるでしょう。このようないい方をすることで,これは宗教心の定義に類することなのだということが容易に理解することができるようになっているからです。
 河井が指摘しているのは,この部分だけを例外的に関係させるではなく帰すると訳すのではなくて,スピノザがreferreという語を用いているときには,おしなべて帰するという訳を用いるべきだったということです。
コメント
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