スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯白玲戦&第二部定理四〇備考二

2023-09-12 19:19:50 | 将棋
 9日に指宿温泉で指された第3期白玲戦七番勝負第二局。
 里見香奈白玲の先手で中飛車左玉。後手の西山朋佳女流三冠が向飛車にしたので先手は2筋に飛車を戻し,対抗形の5筋位取りのような形になりました。先手が歩を交換したタイミングで後手が仕掛け,その後の展開で先手の金が2五に進む形に。先手が押さえ込むか,後手が飛車を捌くかという勝負になるかと思われましたが,後手が飛車こそ捌けなかったものの金を相手にしないように攻めていき,そのあたりは有利になっていたのではないかと思います。ただもたついている間に先手の2五の金が5三まで進出するという先手にとっては望外ともいえるような進展となり,ここは逆転していたと思います。
                                        
 第1図からの進展が勝負を分ける最大のポイントでした。
 実戦は☗5八金と,飛車の成り込みを受けました。ところが☖9三香☗同歩成と取って☖5七角が痛打。取ると飛車を成られてしまうので☗6九王と逃げましたが☖9三角成と戻られ,☗4二金と飛車を取ったところで☖5七香☗6八金☖6六歩と猛反撃されて局面が混沌としてきました。
                                        
 第2図から☗5一飛と王手をしたのも位置が悪く,打つなら☗4一飛で,これで難しいながらも後手がよくなっているようです。
 第1図は☗3二歩成が正着で,☖4六角☗6八金☖8八桂成☗同王☖6八角成と進め,☗4二と☖9三香のとき,☗3一飛成ではなく☗5一飛と打てば先手が勝てていたようです。
 西山女流三冠が勝って1勝1敗。第三局は16日に指される予定です。

 第二部定理四〇備考二では,第三種の認識cognitio tertii generisが次のようにいわれています。
 「この種の認識は神のいくつかの属性の形相的本質の妥当な観念(essentia formalis quorundam Dei attributorum)から事物の本質の妥当な認識(rerumque proprietatum ideas adaequatas)へ進むものである
」。
 ここでいわれている事物の本質を,個物res singularisの現実的本性actualis essentiaと考えること,あるいは個物の現実的本性を含むものと解することはできます。ですから,もし僕たちが第三種の認識で事物を認識するcognoscereことについて何事かを例示したいのであれば,現実的に存在する個物,つまりそれに特有の現実的本性を有するものとしての個物を例材にすることに意味がないわけではありません。しかし理性ratioによる認識は,個物の現実的本性についての認識ではありませんから,それについて例示するときに現実的に存在する個物を例材として用いること自体が,適切ではないということができるでしょう。
 これでこの部分の考察は終えることにします。前もっていっておいたように,この部分は僕自身の探求という観点からは不要でしたので,河井が示している事例がスピノザの哲学にとって不適切であるとしても,それを修正するという必要はありません。なので河井の主張をさらに先に進めていきます。
 この後で河井がいっているのは,第二部定理三二は,第二部定理四〇まで追っていくと,混乱した認識から十全な認識へ移行するターニングポイントとなる定理Propositioであるということです。そのゆえに河井にとって,第二部定理三二の訳業が気になるのです。
 ここで河井がいわんとしていることは,ここでは,第二部定理三二まではスピノザは主に人間の精神mens humanaのうちにある誤った観念idea falsa,とりわけ表象像imaginesについて議論していたものが,第二部定理三二から第二部定理四〇に至る過程で,人間の精神のうちにある真の観念idea veraについてスピノザが主に語るようになる,そのターニングポイントであるという意味に解します。ここに河井が示している文章自体は,現実的に存在する人間の精神のうちにあるXの誤った観念が,同じ人間の精神のうちでXの真の観念に移行するターニングポイントとなる定理が第二部定理三二であるというようにも解釈することができるのですが,その解釈は採用しません。
コメント
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