スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

平安賞&歪んだ円

2023-09-03 20:14:20 | 競輪
 向日町記念の決勝。並びは坂井に和田,北井に佐藤,山田‐村上‐川村の京都,太田に尾形。
 尾形がスタートを取って太田の前受け。3番手に坂井,5番手に北井,7番手に山田で周回。残り3周のバックから山田が上昇していくと,ホームの入口から坂井が合わせて出て,ホームは3つのラインが併走。残り2周となって太田を叩いたのは山田。山田が前に出たのを見て後ろで様子を窺っていた北井が外を上昇。バックで山田を叩いて打鐘からの先行になりました。3番手に山田,6番手に坂井,8番手に太田の一列棒状になったのですが,ホームで佐藤と山田の車間が開いてしまい,この時点で前のふたりの争いに。捲ってくる選手はなかったので佐藤はただついていけばいいというだけのレースになったのですが,あまり差を詰めることができず,逃げ切った北井が優勝。マークの佐藤が1車輪差の2着でこのラインのワンツー。差を詰めきれなかった山田を外から差した村上が2車身差で3着。山田が半車輪差で4着。
 優勝した神奈川の北井佑季選手は5月の西武園のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は初制覇。このレースは地元勢が3人いたのですが,山田の先行は考えにくいので北井の先行が有力。自力選手としての脚力では他を上回っていることが歴然としていましたので,このラインでの優勝争いが濃厚とみていました。残り1周半からの先行になった上に,2番手と3番手の差が早々に開いてしまいましたから,他のラインが手も足も出なくなってしまったのは仕方ありません。とはいえ番手の佐藤も振り切っての優勝は立派で,内容は文句なしです。119期ですから新鋭の部類には入るのですが,すでに33歳ですから,ビッグの優勝まで狙うというのなら,ここ数年が正念場になるでしょう。

 無限知性intellectus infinitusのうちではあらゆる観念ideaが神Deusと関係させられます。よって無限知性のうちにある限り,あらゆる観念は真の観念idea veraです。これに対して,観念が限定された知性,たとえば現実的に存在する人間の精神mens humanaのような有限なfinitum知性のうちにあるとみられる限りでは,神と関係させることができる観念もあるのですが,神と関係させることがその知性によっては不可能な観念もあります。したがって,ある観念がたとえば現実的に存在する人間の知性のうちにあるとみられる限りでは,誤った観念idea falsaもあるといわなければなりません。しかしそうした誤った観念も,無限知性のうちにあるとみられる限りでは神と関係させることができるので,その場合は真の観念となるのです。おそらくこうしたことが第二部定理三二の背後にはあるのであって,これがスピノザがこの定理Propositioに託したことであると僕は解します。いい換えれば,このように河井の主張を修正するということです。
                                   
 それではその後の河井の主張を追っていきましょう。
 河井は次にこのような例をあげています。コンパスを用いて円を描くとしましょう。このとき,もし描く過程でコンパスの中心がずれてしまうと,正確な円を描くことができません。何らかの歪んだ図形が描かれることになります。しかし,コンパスの中心がずれてしまったということは,結果effectusとして歪んだ図形が描かれることの原因causaは構成しています。これはコンパスの中心がずれずに円が描かれたときに,このコンパスの運動motusが描かれた円の原因を構成しているというのと同じことですから明白でしょう。しかしコンパスの中心がずれてしまったのであれば,中心がずれてしまった何らかの原因というのがあった筈です。河井は,そのずれの原因となった視点に立つことによって,歪んだ図形が描かれたことの十全な原因causa adaequataをなすといっています。これは原因,原因の原因というように辿り,反省的で包括的な視点に立つことによって,現実的に存在する人間の精神の能動actio Mentisが語られることになるという主旨のことをいっています。
 ここまでの僕の考察から理解してもらえると思いますが,僕はこの部分に関する主張も,全面的には受け入れることはできません。
コメント
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