スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

鳳凰賞典レース&円の表象像

2023-09-10 19:11:56 | 競輪
 立川記念の決勝。並びは新山‐守沢の北日本,真杉‐森田‐平原‐佐々木‐高橋の関東で北井と犬伏は単騎。
 佐々木がスタートを取って真杉の前受け。6番手に新山,8番手に犬伏,9番手に北井で周回。残り3周のバックを過ぎると北井が内から進出。5番手に入ったので6番手に新山,最後尾に犬伏という隊列に変化。ホームから真杉が駆けていくと打鐘から新山が発進。何とか前に迫ろうとしましたが,牽制もあってバックで浮いてしまいました。このタイミングで森田が番手から発進。最後尾から犬伏が追い上げてきましたがこちらもコーナーで一杯。番手捲りを決めた森田が優勝。平原の後ろから佐々木が外を伸びて半車輪差で2着。森田マークの平原が半車身差の3着で関東ラインの上位独占。
 優勝した埼玉の森田優弥選手は昨年12月に名古屋でのFⅠを優勝して以来の優勝。記念競輪は初制覇。このレースはラインの構成に偏りがあった上,分断策に出られそうな選手がいなかったため,よほどのことがない限り関東ラインで決まるだろうとみていました。森田の発進のタイミングによって,森田か平原かが決まると思っていたのですが,残り半周くらいまで真杉が頑張りましたので,森田の方が有利になることに。平原が佐々木に差されてしまったのは意外でしたが,これは早い段階からハイペースのレースになったことが影響したのだと思います。

 一端が固定しもう一端が運動する直線によって形成される図形という命題は,知性intellectusが円の真の観念idea veraを有するのに資する命題です。実際にこの命題でいわれていることをなすことによって,それをなした人間が円の形相的本性essentia formalisを正しく認識するcognoscereことがあり得るということは僕は否定しません。だからそのようにして実際に円を描いてみることが,知性が円を正しく認識するために無益であるとはいいません。しかしこの命題が知性が円を正しく認識するのに資するというのと同じ意味で,そうした認識cognitioに資するということはできないのです。これは一般に円を描くことすべてに妥当する事柄ですから,コンパスを用いて正確な円を描いてみる場合も成立します。つまりコンパスを用いて正確な円を描くことは,知性が円の真の観念を有するために無益であるとは僕はいいませんが,そのことに資するともいえないといいます。
                                   
 さらに,これは方法は問わないのですが,実際に円を描くという行為のうちにはもうひとつの問題点があります。それは,現実的に存在する人間が実際に円を描くなら,描かれたその円によって描いた人間の身体humanum corpusは刺激されるafficiので,この人間の精神mens humanaのうちには描いた円の表象像imagoが発生するという点です。このことは第二部定理一七から明白であるといえるでしょう。これは円の表象像なのですから,その円の真の観念であるどころか誤った観念idea falsaです。そしてこうしたことが生じるということは,すでにこの人間が円の真の観念を有しているかいないかということと関係ありません。第四部定理一がいっているのはそういうことだからです。
 したがって,どのような方法であれ,現実的に存在する人間が円を実際に描くということは,その人間が円の表象像を有するということには資する行為であるといわなければなりません。いい換えれば,現実的に存在する人間は,何らかの方法で円を描いたなら,そのことによって円の真の観念を有するようになるということは必然的necessariusであるといえないのですが,円の表象像いい換えれば円の誤った観念を有するということは必然的といえるのです。なので実際に円を描くことを,円の真の観念と結びつけることはできません。
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