スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&編集者の仕事

2015-12-17 19:20:41 | 地方競馬
 昨晩の第66回全日本2歳優駿。ポッドガイが左肩の跛行で出走取消となり11頭。
                                   
 発走後の正面ではアンビリバボー以外の10頭がほぼ集団。このために隊列が決まるのに時間を要しました。押し出されるような逃げになったのがアンサンブルライフ。向正面に入るあたりでオーマイガイが単独の2番手に。コウエイテンマとスティールキング,サウドスカイとエネスクがほぼ併走で続き,5列目はマイタイザン,トロヴァオ,レガーロの3頭。前半の800mは50秒9のミドルペース。
 3コーナーを回ると隊列に変化が生じ,3番手が内にサウンドスカイ,外にエネスクの併走になり,これらの外からトロヴァオ,さらに大外をレガーロが追い上げる形。直線に入るとアンサンブルライフがオーマイガイを振り切ったものの,コーナーはインを回って直線でオーマイガイの外に出たサウンドスカイが絶好の手応えそのままにアンサンブルライフを捕えて抜け出すと後ろに1馬身半の差をつけて快勝。大外をよく伸びたレガーロがゴール前でアンサンブルライフを捕えて2着。アンサンブルライフはクビ差の3着。
 優勝したサウンドスカイ兵庫ジュニアグランプリに続く勝利。4連勝で大レース制覇。様ざまな路線から集結していたので,レベルの把握が難しかったのですが,重賞を勝っていたのはこの馬だけで,ここはその実績の差を見せつけての勝利。レース内容もよかったと思いますが,タイトなコーナーをロスなく回ってきた鞍上の手腕も光りました。メンバーのレベルが低かったとは思えず,距離には限界があるかもしれませんが,来年以降も活躍を期待してよいものと思います。父はディープスカイ
 騎乗した戸崎圭太騎手はスプリンターズステークス以来の大レース制覇。全日本2歳優駿は初勝利。管理している佐藤正雄調教師はかしわ記念以来の大レース制覇。全日本2歳優駿は初勝利。

 僕が示した見方と類似した見解は,工藤喜作の『人と思想 スピノザ』にみることができます。
 スピノザの死後,アムステルダムでスピノザの友人たちは,草稿を売るべきか迷ったが,遺稿集にして世に出すことにしたと工藤は書いています。根拠は示されていませんが,おそらくシュラーからライプニッツへの打診の手紙が少なくともそのひとつを構成しているのではないかと僕は思います。
 工藤によればまずスピノザのラテン語を,コレルスの伝記ではスピノザの死を看取った医師とされているマイエルが校訂したとされています。『宮廷人と異端者』では,スピノザのラテン語はときにスペイン語訛になるから書き直しが必要だったという主旨のことが書かれています。ラテン語がスペイン語訛になるというのがどういう意味なのか僕にはまったく分かりませんが,スピノザと言語の関係から,そうしたことが生じたとしても不思議ではないということだけは何となく分かります。
 それから遺稿集の序文をイエレスが書いたと工藤はいっていますが,これはオランダ語で書かれてそれをマイエルがラテン語に翻訳したとなっています。やはりイエレスにはラテン語を読み書きする能力がなかったということでしょう。
 工藤は書簡を整理したのはシュラーだったとしていますが,この点の根拠は僕には不明です。ただ,その後のシュラーとライプニッツのやり取りから察すると,書簡の選別にシュラーが関わっていたということだけは間違いないと僕には思えます。工藤の表現だとそれがシュラーだけの仕事であったというように読めますが,僕は必ずしもそうは考えません。したがってハルマンがリューウェルツゾーンに見せてもらったイエレスに宛てられた書簡を,遺稿集から排除したのはシュラーであったというようには断定しません。
 イエレスがオランダ語で書いた序文は,すでに示したように伝記に関係する内容は『スピノザの生涯と精神』に訳出されています。工藤はそれ以外の部分について言及していて,そこではスピノザ主義が無神論ではないということを証明するために,それがキリスト教の教説に一致することを強調しているそうです。
コメント
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