スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ゴールドカップレース&フィクション

2015-12-01 19:19:30 | 競輪
 競輪祭の直後の上にグランプリを控えていることもあり仕方ありませんが,有力といえる選手が不在になってしまった京王閣記念の決勝。並びは吉田拓矢に堤,山賀‐新田‐松坂‐勝瀬‐望月の南関東,吉田敏洋‐坂口の中部。
 吉田敏洋がスタートを取って前受け。3番手に山賀,8番手に吉田拓矢の周回に。残り3周のバックから吉田拓矢が上昇していくと,山賀が機先を制してコーナーから動きました。吉田敏洋は望月の後ろまで引き,外の吉田拓矢と6番手を争う形に。外の吉田拓矢がさらに前に踏もうとするのを見て打鐘前から山賀が発進。6番手は吉田敏洋が取り,吉田拓矢が8番手になって一列棒状でホームに。すぐさま吉田敏洋が動いていくと新田がホームの出口手前で早くも発進。吉田敏洋はいいスピードでしたが松坂の再三の牽制でバックで力尽きました。引いた吉田拓矢がその外を捲っていったので松坂もそのまま発進。直線は抜け出した松坂に大外から吉田拓矢が迫ってゴール。写真判定となり,優勝は松坂。吉田拓矢がタイヤ差で2着。松坂マークの勝瀬が2車身差の3着。
 優勝した神奈川の松坂英司選手は昨年6月の花月園メモリアル以来の記念競輪2勝目。ここは5人が決勝に進出した南関東が折り合って結束したので有利に。吉田敏洋が早めの捲りになったために新田の発進も早くなり,展開も味方しました。それでも吉田敏洋を出させないようにきちんと仕事をした上での優勝ですから,評価してよいでしょう。吉田拓矢は大外でしたから止めるのは難しく,あの時点で踏み込んでいったのも仕方ないかと思います。その吉田拓矢はここがS級のデビュー戦。大外を回って写真判定まで持ち込んだのですから,これからが楽しみな選手でしょう。

 僕の考え方とマルタンの推理を一致させるために必要なのは,おそらくマルタン自身が想定している物語に変更を加えることです。
                                
 1667年に「少女」が描かれた時点で,フェルメールはカメラ・オブスキュラを利用していました。そしてこの装置はそれより以前にフェルメールの依頼を受けたレーウェンフックの協力によって完成していたものでした。しかしフェルメールはこれに満足できず,もっと性能がよいレンズを入手したいと考えました。レーウェンフックに協力を依頼してもこれ以上の装置を手に入れることは困難であると思われたので,今度はスピノザに助けを求めました。それにより高性能のレンズを入手できたので,フェルメールはお礼にスピノザをモデルとして「天文学者」を描いたのです。
 断定的に記述しましたけれどもこれは物語すなわちフィクションです。改めていいますが僕は「天文学者」のモデルがスピノザであるという主張自体に懐疑的だからです。ですが上述したフィクションであれば,史実としても想定は可能であることを認めます。このとき,フェルメールはレーウェンフックからの紹介でスピノザを知ることができたとしてもよいですが,そうではなく,レーウェンフックとは無関係なところから知ったとしても構いません。たとえばフェルメールも親友であるレーウェンフックの自然科学者としてのプライドを理解できたかもしれず,それならより高性能のレンズの入手は,レーウェンフックの秘密裡に行われたと考える方がより真実らしいかもしれません。ですがあくまでもフィクションなのですから,そういった細かい点に関してはどのように解されてもいいです。各々が最も信憑性があると感受できるようなストーリーを構成してください。
 とはいえ,このフィクションをより真実らしくみせるためには,ふたつの点を検討しておかなければなりません。ひとつは,フェルメールがレーウェンフックからの紹介なしにスピノザと知り合うということが可能であったのかどうかということです。もうひとつは,レーウェンフックにはできなかった高性能のレンズの製作が,スピノザには可能であったのかということです。
コメント
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