スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&発禁処分の理由

2015-12-28 19:06:52 | 将棋
 25日に指された第5期女流王座戦五番勝負第五局。
 規定で振駒が行われ加藤桃子女流王座の先手。伊藤沙恵女流二段のうそ矢倉。序盤は先手がうまく指して作戦勝ちに。後手が局面を動かすために仕掛けると,先手はすぐさま反撃に転じました。その判断自体は問題なかったようなのですが,方向を誤ってしまったようです。
                                   
 後手が3三の銀を進めたところ。感想戦ではここで▲7五歩と突くべきだったという結論が出ました。この局面ではそうかもしれませんが,総合的にいえば玉を囲わないまま反撃に転じたのが問題だったように僕は思います。
 実戦は▲5四歩と突きました。ここから△同銀▲7三角成△同桂までは一本道。先手は▲5五歩と叩きました。これに対して△同銀と取ったのはなかなか強気な一手に思えます。先手は▲3五歩。
 △4四銀▲同銀△同歩と進めるのは後手としては仕方ないところでしょう。先手は▲2四歩△同歩と突き捨てて▲5一角と打ち込みました。
 △6四角は当然とはいえ反撃含みの好手。次の▲6五銀は△同桂▲同歩で駒損になりますが,ここに至っては仕方なかったと思います。もっとも,第1図で▲5四歩と突くならこのあたりまでは読んでいる筈で,先手としては予定通りだったのでしょう。しかし△5二飛と回られて困ったようです。
 ▲2四角成△7三角というのが常識的な進行だと思うのですが,それではいけないとみたらしく▲6四歩△5一飛で角を取り合い▲6三歩成とと金を作りました。手番を得た後手は△6六歩。
                                   
 と金ができているので駒損の分は相殺されていると思いますが,この手番の攻めがうるさく,結果的に振りほどくことができませんでした。この後,攻め合いに出られそうなところでも受けに回ってしまい,後手の快勝のような将棋になりました。
 伊藤二段が勝って2勝2敗1持将棋に。五番勝負ですが異例の第六局が年明け6日に指されることになりました。

 意外に思われるかもしれませんが,1670年に発売された『神学・政治論』は売れ行きが好調で,増刷されています。処分を受ける直前,1673年から翌年にかけて出たのが第3刷でした。ですがこのときは『神学・政治論』が単独で出版されたのではなく,『聖書解釈としての哲学』との合本だったのです。こうしたことが可能になったのは,マイエルの著作の出版者も『神学・政治論』と同じリューウェルツであったからでしょう。
 『ある哲学者の人生』では,知られていなかった『聖書解釈としての哲学』の著者がスピノザであると誤解していた人がいたとされています。その誤解を生じさせた要因のひとつに,この合本としての発売というのがあったのではないかと思います。『神学・政治論』の方は,少なくともこの第3刷が出た時点では,伏せられていた著者がスピノザであるということは,ほとんど公然の秘密と化していたからです。
 発禁処分を下した当局が,どのように認識していたのかは分かりません。『聖書解釈としての哲学』は,明らかに神学を理性ないしは哲学に従属させているといえますから,そうした内容の面が問題になったと考えることもできます。また,王党派はカルヴァン派と深く結託していたのですから,同じプロテスタントとはいえルター派に属していたマイエルの著書を,カルヴァン派の牧師たちの後押しを受けて発売禁止にしたというのもあり得ない想定ではないでしょう。そして『聖書解釈としての哲学』の著者がスピノザであるという誤解から,同時に発売禁止にされたという可能性もないわけではありません。このとき,ホッブズの『リヴァイアサン』のオランダ語版も発売禁止処分を受けているのですが,『神学・政治論』に示されている政治理論と,ホッブズの政治理論との間には,はっきりとみてとれるような関係があるからです。
 実際には,『神学・政治論』の著者と『聖書解釈としての哲学』の著者が異なるということは,両方を熟読すれば理解できた筈です。フェルトホイゼンは要約の中で,『神学・政治論』では『聖書解釈としての哲学』でされているような方法が否定されているといっています.
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