スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&シュラーの目論見

2015-09-18 19:09:11 | 将棋
 大阪で指された昨日の第63期王座戦五番勝負第二局。
 佐藤天彦八段の先手で角換り相腰掛銀。羽生善治王座の6筋位取り。後手からの仕掛けで本格的な戦いに。
                         
 後手が端に歩を垂らした局面。厳密にいうと後手の仕掛けは無理気味で,正しく応接すれば先手が受けきれるという局面なのだと思います。ですが正確に受けるのは簡単ではありませんから,まだ難しいと判断してよいように思います。
 取らずにすぐに▲8七金と上がりました。△9五香▲9八歩。
 後手は△6五銀とぶつけ▲同銀△同桂。
 ここで▲7八玉と寄り,△6三飛に▲6六銀と受けました。
                         
 手順中,▲7八玉と寄ったのがよい手で,ここは後手の攻めが切れ筋になっています。実戦は第2図で後手が△6四歩と打ったので,じり貧のような将棋になってしまいました。△7五歩と指すほかなかったとの感想ですが,それでも後手が苦しいようです。
 佐藤八段が勝って1勝1敗。第三局は24日です。

 『スピノザ往復書簡集』の中に,ライプニッツとスピノザの間で交わされた書簡のすべて,なかんずく哲学や神学に関連されたものがまったく含まれていないのには,シュラーの尽力があった可能性は否定できません。シュラーが遺稿集の編集者のひとりであったことは『ある哲学者の人生』でも断定されていて,確かにシュラーにはそれが可能であったといえるからです。
 『宮廷人と異端者』では,こうしたことはシュラーがライプニッツに恩を売ろうとしただけであって,実際にシュラーがそれをなしたかどうか,なせる立場にあったかどうかさえ疑わしく思えるように記述されています。ライプニッツはそのときハノーファにいて,シュラーの行動を逐一監視できたわけではありませんから,可能性としてはそれは否定できないし,スチュアートの考え方を合理的に説明できるようにも思えます。
 シュラーはスピノザの死の直後に,ライプニッツに対し,スピノザの死の報知とともに『エチカ』の草稿を購入する気はないかという打診の手紙を送っています。1ヶ月ほどライプニッツが逡巡している間に,シュラーからそれを打ち消しました。公共の利益のために『エチカ』を出版することが決まったからだという理由になっています。これは遺稿集の出版が決定したという意味です。
 これらがすべて事実であるなら,スピノザが死んだ時点では遺稿をどう扱うかは何も決まっていなかったことになります。したがって,それより前の時点でシュラーがライプニッツの手紙を処分することはできなかった筈です。たとえ手紙が存在していたとしても,それが公開されないならば,ライプニッツにとって何も危険なことはありません。いい換えれば,遺稿集が出版されると決まったから,それを秘匿する必要が生じたのだからです。
 『エチカ』の草稿の件に関していえば,シュラーはそれをライプニッツに売ることを本気で考えていたと僕は思います。そしてそれは金銭を得るためでなかったかと推測します。しかしそれを公刊するなら,編集者としてより大なる金銭的利益が得られると目論み,ライプニッツに売ることを拒絶したのではないかと思います。
コメント
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